2011年04月23日

東海地震による豊橋の被害予測

東海地震が起きた場合の震度分布を紹介します。
表浜の方で震度が6強です。
やはり、震源に近いことが影響しているのでしょうか。
震度6強は、そのほか、豊橋市内ところどころに見られます。

市内の約73%が震度6弱です。


液状化については、豊川下流域や、柳生川梅田川流域
さらに、埋め立て地で、「極めて危険度が高い」と予測されています。


これは、あくまで、さまざまな仮定を前提とした計算結果ですが、
沖積平野や埋め立て地は、台地に比べると、液状化に対して弱いことは明らかです。
そのため、地震そのものの揺れに加え、液状化による被害にたいしての心構えが必要になります。

この予測図は豊橋市のHPで公開されています。
HPによると、建物の全壊が4,471棟、半壊が17,005棟と推計されています。  


Posted by むぎゅむぎゅ at 17:11Comments(0)地域の課題・問題

2011年04月23日

豊橋の地質

これまで濃尾平野の地質や防災や城下町の形成など紹介してきました。
でも、本当に紹介したかったのは、東三河のことです。

まず、豊橋の地質図をご覧ください。
東側の紫色は弓張山地を形成するチャート石灰岩などの岩。

遠州灘から三河湾に向かって、天伯台地、高師台地、豊橋台地とつながっています。
豊川放水路の右岸は小坂井台地です。

そして、着色していない部分が沖積平野という低地です。


遠州灘から三河湾方向の断面図です。
遠州灘側は断崖絶壁で、三河湾側に向かって徐々に低くなっていきます。


沖積平野は、豊川下流と、


梅田川下流などに広がっています。

  


Posted by むぎゅむぎゅ at 10:45Comments(3)地域の課題・問題

2011年04月22日

濃尾平野の地盤が超軟弱な理由

濃尾平野の地盤が超軟弱な理由?
それは、つい最近までそこが海だったからです。
つい最近といっても江戸時代よりもずーっと前のことですが。

古代の濃尾平野はまさに海でした。
長島も津島も琵琶島も一宮も島でした。
小牧や熱田はかろうじて陸続きです。


木曽三川が運んできた砂や泥が堆積し、
さらに江戸時代になって干拓により、海が陸地になってきました。
それでも、低湿地なので熱田から桑名までは渡し舟が出ています。
それが東海道の七里の渡しです。


七里の渡しの跡が残っています。


今も運河が残っていて、桟橋もあります。
桟橋には船がなく、代わりにカモメがいっぱいいます。


運河沿いに公園があります。
都会の中の癒し空間です。
  
タグ :濃尾平野


Posted by むぎゅむぎゅ at 19:53Comments(0)地域の課題・問題

2011年04月21日

名古屋市の液状化マップ

東海地震、東南海地震連動の震度マップです。
黄色が震度6弱、緑色が震度5強。
名古屋市のほぼ全域が震度6弱と予想されています。


こちらは、液状化マップです。
赤色が液状化の危険度が極めて高い。
黄色が危険度が高い。
緑色が危険度が低いです。
赤色の液状化の危険度が極めて高いところが名古屋市の西側に分布しています。


これは、濃尾平野の標高図の地盤が低いところと重なります。
つまり、同じ震度でも、地盤の低いところは液状化の危険度が高く、
標高の高い台地は液状化の危険度が低いのです。
  


Posted by むぎゅむぎゅ at 22:34Comments(0)地域の課題・問題

2011年04月20日

桜天神社界隈

桜天神社のある桜通の八重桜。


近くの事業所の人が桜通の清掃活動をしています。


桜通の向こう側から見ると、桜天神社はビルの谷間に小さくなっています。


江戸時代から町人の街として、基盤割ができています。
本町、長者町、呉服町など町名が付けられました。


桜天神社のすぐ西の通りを北に向かうと長者町があります。
長者町は問屋さんが軒を連ねています。


シャッターに絵が描かれています。


歴史的な問屋の町と現代アートがコラボしています。
  


Posted by むぎゅむぎゅ at 23:50Comments(0)眺め・景色

2011年04月19日

豊川中流山里の桜と若葉

 今日19日の豊川中流近辺の景色をぐるっとみるとface01

1.山里の春の朝




2.山里は桜が今が満開




3.豊川沿いの吉祥山は若葉が萌えだした




4.新城市白子の木々の若葉だよface02




5.山の中腹では、目に青葉 山ホトトギス 桜まんかいface05




  


Posted by ビクター at 21:37Comments(0)眺め・景色

2011年04月19日

桜通りの 桜天神社

名古屋市の駅前大通は桜通といいます。
その桜通に桜がないと、4月9日のブログでお伝えしたところ、
「くじら山こうじ」さんから桜天神社が桜通りの云われと教えていただきました。

行ってきました。
これが桜天神社です。


「桜天神社の起源は、菅原道真公への信仰が篤かった織田信長の父・信秀が
那古野城の中に祠を設け、道真公の木像をお祀りしたのがはじまりとされ、
1538年(天文7年)現在地に御遷座されました。

 1599年(慶長4年)9月9日、福島正則が制令を建て、
名古屋城を築城する折には、
加藤清正が桜の名所だったこの地場所を本陣とし、築城の指揮をとりました。

 築城当時の名古屋は、北は片端線、南は広小路、東は久屋大通、西は
堀川までの9丁四方を、東西10本、南北10本の道路で碁盤の目のように区割りされていたのだそうで、
東西9町、南北9町、計81町の中心に位置していたのが桜天神社でした。」


と、こちらのHPに書かれています

桜天神社は名古屋城の築城以前からこの地にあったのですね。

名古屋城下の頃の桜天神社は、このレリーフから忍ばれます。


今の桜天神社です。
拝殿は突き当りの右側に隠れています。


天神社なので、牛が祭られています。


  


Posted by むぎゅむぎゅ at 20:35Comments(0)名所旧跡

2011年04月18日

尾張で防災上安全なところ

濃尾平野の標高図をご覧ください。
青色で示されたゼロメートル地帯が名古屋港、庄内川、木曽三川で囲まれた地帯に広がっています。

今日紹介したいのは、地図右側の黄色いところです。
ここが台地になっています。
標高は5mから10m程度です。


この黄色で着色したところです。


ここに名古屋城から熱田神宮にいたる城下町が形成されました。


江戸時代の地図をご覧ください。
この台地上に城下町が形成されています。
水害から安全な台地です。


この江戸時代の地図は、「江戸時代(名古屋城下の都市計画)」から引用しました。
ぜひ、ご覧ください。
江戸時代の名古屋城下のことが良く判ります。  


Posted by むぎゅむぎゅ at 21:20Comments(0)地域の課題・問題

2011年04月18日

川が赤茶色(赤潮?)

15日(金)の雨も止んで
16日(土)は暖かな日でした。それでか柳生川が赤茶色に見えました。




これって赤潮ですか?
春の海(河口付近)で温度が高いときに発生するって
聞いていましたが、
河口からだいぶ上った2km付近でもあるんですねえ。

 

  


Posted by せんべい at 00:30Comments(3)眺め・景色

2011年04月17日

ゼロメートル地帯の防災対策

今は三重県桑名市の長嶋支所、旧長嶋町役場には、海抜ゼロメートルや
伊勢湾台風時の水位を示した標識を設置して、市民の防災意識を高めています。
一番上がT.P.3.9mで、伊勢湾台風の水位を表しています。


伊勢湾台風後に造りなおしたした海岸堤防もその後の地盤沈下で、高さが不足したため、
嵩上げ工事を行っています。


海抜ゼロメートルでは、潮位の影響を受けるため、水門が必要となります。
また、洪水時にはポンプで流れてきた水を海に排水する必要があります。
この水門を船が出入りします。
これらの機能を備えた施設が水閘門です。




集落は、輪中により水害から守られます。


集落の各家は石垣で一段高くしてあります。
水屋といいます。
これも水害から身や財産をを守るすべです。


輪中の記事はこちらのHPから引用しました。  


Posted by むぎゅむぎゅ at 22:04Comments(0)地域の課題・問題