2011年04月07日
明応地震(1498年)の津波
本日、7日中日新聞の朝刊に1498年の明応地震の記事がありました。
「明応地震はフィリピン海プレートの静岡県沖を震源に発生。
東海地震、東南海地震が連動したといわれ、
東日本大震災のマグニチュード(M)9・0に近いM8・2~8・6の規模とみられる。
推定で高さは最大15メートル、死者は5万人を超えたという。
いずれ起こるとされる東海地震などで愛知県や三重県が想定する波の高さ、死者数を超えており、
識者は「想定の再検討が必要」と警告する。」
と、あります。
1944年の東南海地震はM7.9で、津波が6~9mで、死者数1,223人。
M8.2~8.6の明応地震では、津波が最大15mで、死者数も5万人と、災害は甚大となります。
今回の東日本大震災のM9.0の恐ろしさを改めて感じます。

「明応地震はフィリピン海プレートの静岡県沖を震源に発生。
東海地震、東南海地震が連動したといわれ、
東日本大震災のマグニチュード(M)9・0に近いM8・2~8・6の規模とみられる。
推定で高さは最大15メートル、死者は5万人を超えたという。
いずれ起こるとされる東海地震などで愛知県や三重県が想定する波の高さ、死者数を超えており、
識者は「想定の再検討が必要」と警告する。」
と、あります。
1944年の東南海地震はM7.9で、津波が6~9mで、死者数1,223人。
M8.2~8.6の明応地震では、津波が最大15mで、死者数も5万人と、災害は甚大となります。
今回の東日本大震災のM9.0の恐ろしさを改めて感じます。

2011年04月07日
東南海地震の記録
東南海地震は、1944(昭和19)年12月7日午後1時に発生し、
海洋プレートの沈み込みに伴い発生したマグニチュード7.9の地震で、
死者1,223人の被害が発生しました。
戦時中のことでもあり、地震の状況や被害は当時秘密にされてきましたが、
中央防災会議の
「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月1944 東南海地震・1945 三河地震」
に記録されていますので、紹介します。
東海地震と東南海地震、南海地震は、周期的に、関連しながら発生しています。
1605年、1707年、1854年、1944年と約100年から150年の周期で発生しています。

1944年の東南海地震の震度が推定されています。
三河湾沿岸部で、震度6、
愛知県のほぼ全域が震度5、
北陸や関西まで震度4が広がっています。

津波は三重県沿岸部で、6~9m。
海洋プレートの沈み込みに伴い発生したマグニチュード7.9の地震で、
死者1,223人の被害が発生しました。
戦時中のことでもあり、地震の状況や被害は当時秘密にされてきましたが、
中央防災会議の
「災害教訓の継承に関する専門調査会報告書 平成19年3月1944 東南海地震・1945 三河地震」
に記録されていますので、紹介します。
東海地震と東南海地震、南海地震は、周期的に、関連しながら発生しています。
1605年、1707年、1854年、1944年と約100年から150年の周期で発生しています。

1944年の東南海地震の震度が推定されています。
三河湾沿岸部で、震度6、
愛知県のほぼ全域が震度5、
北陸や関西まで震度4が広がっています。

津波は三重県沿岸部で、6~9m。
