2011年04月12日

命を守った防波堤、水門

東日本大震災から1か月たち、黙とうもささげた昨日、
震度6弱の地震が起こってしまいました。
いわき市で死者も出ました。
被災地の人々の不安は続きます。

岩手県大船戸の湾口防波堤は、1960年のチリ地震津波での被害を契機に整備し、
4年間の年月と19億円の事業費をかけて66年に完成したもので、
国内で初めての湾口防波堤でした。

ところが、完成後40年以上が経過し、
基礎地盤の沈下や構造物の損傷などの老朽化が目立ち、
湾口防波堤の早期改修を求めていたのでした。

しかし、完成後45年がたち老朽化していた大船渡の湾口防波堤は津波で破壊され、
被害を食い止めることができなかったのです。


一方、釜石港の湾口防波堤は、1200億円以上の総事業費と約30年の歳月を費やして、
09年3月に完成したものです。

全国で初めて耐震設計を採用。
最大水深63mはギネス記録に認定されました。
そして、この防波堤は、沈下などの被害を受けたものの、
最大6mほど津波の高さを抑えることができたのです。


さらに、普代村に設けた防潮水門などが東日本大震災で効果を発揮し、
集落を大津波から守りました。
3月30日時点で行方不明者は1人出ているものの、死亡者はゼロです。
住宅への浸水被害も出ていないのです。

1896年に発生した明治三陸大津波では、1000人以上の死者や行方不明者を出しています。
この明治三陸大津波を対象に、普代川の河口から約300m上流に建設したのが普代水門です。
この水門の高さは15.5mで、長さは約200mとなっています。
岩手県が高潮対策事業の一環で総事業費35億6000万円をかけて建設しました。
完成したのは1984年。


被害の大きさは、地形的要因も大きいですが、
防波堤や防潮水門は、住民の命を守ります。

この記事は、ケンプラッツ土木のHPを引用しました
  
タグ :防波堤水門


Posted by むぎゅむぎゅ at 06:13Comments(0)地域の課題・問題