2024年05月25日
2024第3回リバーウォーク その4
干潟土地(池沼・潮だまり)を所有する住民の一部から訴訟

秋分の満潮時に土地が海面下に沈んだ(時期不詳の海没地である)
海面下に私有できる土地はない→所有権の滅失登記申請を行うよう求めた
これら強引な行政のやり方に反発し 滅失登記処分の取消し等を求めた

はじめて、この地・この碑を見て その歴史を知りました。
その後 汐川の堤防道路を遡り シェルマよしご「吉胡貝塚資料館」へ


発掘調査(1922~23年)で300体を超える人骨が発見され、一躍有名になる(出土数日本一) 1950年文化財保護法が公布され、吉胡貝塚は国が発掘する第1号の遺跡として選ばれる 1951年の発掘調査で、土器、石器、骨角品、縄文人骨など多数出土し 国指定史跡になる
館長さんのお話「石灰岩が骨を守った。縄文時代後期の渥美半島の生活」に耳を傾けました

館内から外に出て、貝塚 埋蔵(人骨模型)の状態などを見学しました

秋分の満潮時に土地が海面下に沈んだ(時期不詳の海没地である)
海面下に私有できる土地はない→所有権の滅失登記申請を行うよう求めた
これら強引な行政のやり方に反発し 滅失登記処分の取消し等を求めた
はじめて、この地・この碑を見て その歴史を知りました。
その後 汐川の堤防道路を遡り シェルマよしご「吉胡貝塚資料館」へ

発掘調査(1922~23年)で300体を超える人骨が発見され、一躍有名になる(出土数日本一) 1950年文化財保護法が公布され、吉胡貝塚は国が発掘する第1号の遺跡として選ばれる 1951年の発掘調査で、土器、石器、骨角品、縄文人骨など多数出土し 国指定史跡になる
館長さんのお話「石灰岩が骨を守った。縄文時代後期の渥美半島の生活」に耳を傾けました
館内から外に出て、貝塚 埋蔵(人骨模型)の状態などを見学しました

2023年11月23日
2023第4回リバーウォーク その6(了)
豊川を挟んでこの地は動いた
天候に恵まれた一日
歩いた道を振り返れば 新東名、豊川、鳶ケ巣山・・・

案内人高木氏のお話は「長篠の戦い」を中心にその円はすごく大きかった。
さらに、続きに興味を持った方はということで 中日新聞に載った記事を紹介します。

およそ9kmの行程を歩き帰途に

電車からも見えた牛渕橋(下流から24番目)
天候に恵まれた一日
歩いた道を振り返れば 新東名、豊川、鳶ケ巣山・・・

案内人高木氏のお話は「長篠の戦い」を中心にその円はすごく大きかった。
さらに、続きに興味を持った方はということで 中日新聞に載った記事を紹介します。

およそ9kmの行程を歩き帰途に

電車からも見えた牛渕橋(下流から24番目)
2023年11月22日
2023第4回リバーウォーク その5
豊川と合流 牛渕橋からの景色

深沢川沿いの道を下り、県道69号線(別所街道)に合流 豊川左岸に出ました。

牛渕橋から上流側 寒狭川(左)と宇連川(右) 中央丘陵に長篠城址、飯田線が見えます。

ゴールはJR飯田線鳥居駅 牛渕橋、飯田線を渡って新昌寺へ
鳥居強右衛門の墓 看板前で高木氏から説明を聞く


長篠城の味方全員を救うために自ら犠牲となった強右衛門の最期を知って感銘を受け、強右衛門の忠義心に報いるために立派な墓を建立させたと伝えられている。
新東名高速道路建設にともない、他の墓と合わせ此処に移動されたとのこと。

深沢川沿いの道を下り、県道69号線(別所街道)に合流 豊川左岸に出ました。

牛渕橋から上流側 寒狭川(左)と宇連川(右) 中央丘陵に長篠城址、飯田線が見えます。

ゴールはJR飯田線鳥居駅 牛渕橋、飯田線を渡って新昌寺へ
鳥居強右衛門の墓 看板前で高木氏から説明を聞く

長篠城の味方全員を救うために自ら犠牲となった強右衛門の最期を知って感銘を受け、強右衛門の忠義心に報いるために立派な墓を建立させたと伝えられている。
新東名高速道路建設にともない、他の墓と合わせ此処に移動されたとのこと。
2023年11月20日
2023第4回リバーウォーク その4
土石流の崩落等から集落を守る ダム?

砂防えん提から下流は自然再生に配慮した護岸が整備

秋の紅葉もさることながら春の桜が楽しみ?
この集落には昔は小学校がありました 二宮金次郎像が残存

筏流し職人「ヒョウサ」等の犠牲者慰霊碑

豊川道筋に祀られていたものをこの地に合祀したもの 高木氏の話す
上には道路? 珍しい頭上を通る豊川用水幹線水路


砂防えん提から下流は自然再生に配慮した護岸が整備

秋の紅葉もさることながら春の桜が楽しみ?
この集落には昔は小学校がありました 二宮金次郎像が残存

筏流し職人「ヒョウサ」等の犠牲者慰霊碑

豊川道筋に祀られていたものをこの地に合祀したもの 高木氏の話す
上には道路? 珍しい頭上を通る豊川用水幹線水路

2023年11月17日
2023第4回リバーウォーク その2
鳶ヶ巣山砦跡の到着

武田軍五砦「君が伏床、姥ケ懐、鳶ケ巣山、中山、久間山」を戦い決戦前
徳川方奇襲隊の一斉攻撃(極楽寺→鳶ヶ巣山・約12.5km)、
闇夜の山岳進行軍・・・・どえらい難儀だったろう

山間林道がとおる天神山山麓、高木氏による迂回コース(奇襲隊が動いた)の説明


およそ一時間歩くと、尾根づたえに視界が開け、前遠方には新城平野、

手前真下が市川集落の家々
段々畑には果樹 ゆず?橙、柿がたわわに 土手もきれいです。


武田軍五砦「君が伏床、姥ケ懐、鳶ケ巣山、中山、久間山」を戦い決戦前
徳川方奇襲隊の一斉攻撃(極楽寺→鳶ヶ巣山・約12.5km)、
闇夜の山岳進行軍・・・・どえらい難儀だったろう

山間林道がとおる天神山山麓、高木氏による迂回コース(奇襲隊が動いた)の説明


およそ一時間歩くと、尾根づたえに視界が開け、前遠方には新城平野、

手前真下が市川集落の家々
段々畑には果樹 ゆず?橙、柿がたわわに 土手もきれいです。
2023年11月09日
吉田城 石垣内部の構造
吉田城南多門の石垣の修復のため、石垣を剥がすと、石垣内部の構造が姿を現しました。

石垣の根石と土塁の様子がしっかりと見えます。

土塁はほとんどが茶色の土ですが、
学芸員の左側には黒い土が見えます。

黒い土は火事で焼けた土を火事の後に盛ったとのことです。

石垣の根石と土塁の様子がしっかりと見えます。

土塁はほとんどが茶色の土ですが、
学芸員の左側には黒い土が見えます。

黒い土は火事で焼けた土を火事の後に盛ったとのことです。
タグ :吉田城址
2023年11月08日
吉田城址 石垣修復工事
吉田城址では本丸南側の多門櫓の石垣が孕み崩落の危険がありました。
このため、石垣の解体修理が行われています。
本丸広場に並べられた石は修復のために解体された石です。

11月5日(日)に現地説明会が開催され、豊橋文化財センターの学芸員から説明を受けました。

石を学ぶために、こんなに多くの市民が集まりました。

このため、石垣の解体修理が行われています。
本丸広場に並べられた石は修復のために解体された石です。

11月5日(日)に現地説明会が開催され、豊橋文化財センターの学芸員から説明を受けました。

石を学ぶために、こんなに多くの市民が集まりました。

2023年11月06日
吉田城の石垣
吉田城鉄櫓の東側から石垣に沿って、石の階段を降ります。

ここには、石に刻印があります。
よく見てください。
一文字星は、 横に 一、 そして〇印と、シンプルな刻印です。
片輪車は、車輪の輪が半分だけ彫られています。

石垣に沿って降りると、豊川に出ます。


ここには、石に刻印があります。
よく見てください。
一文字星は、 横に 一、 そして〇印と、シンプルな刻印です。
片輪車は、車輪の輪が半分だけ彫られています。

石垣に沿って降りると、豊川に出ます。

2023年11月05日
吉田城址
10月21日に開催したリバーウォークで、豊橋公園を訪れました。
豊橋公園内には、吉田城址があります。
これから本丸に入ります。

本丸にあるのは、鉄櫓(くろがねやぐら)です。
鉄櫓は昭和29年(1954)に鉄筋コンクリート造りで再建されました。
風格を感じます。

鉄櫓内では、様々な展示がされており、結構楽しめます。

景色も良好。金色島が見えます。

豊橋公園内には、吉田城址があります。
これから本丸に入ります。

本丸にあるのは、鉄櫓(くろがねやぐら)です。
鉄櫓は昭和29年(1954)に鉄筋コンクリート造りで再建されました。
風格を感じます。

鉄櫓内では、様々な展示がされており、結構楽しめます。

景色も良好。金色島が見えます。

2023年10月28日
豊橋まちなかウォーク
先週、10月21日に豊橋のまちなかウォークを行いました。
魚町にあるのが豊橋名産ヤマサのちくわの本店。

札木を抜けて、見えてくるのが公会堂です。

公会堂のモニュメントはこの鷲。
建てられた時には、屋根に上がっていましたが、
コンクリート製で重すぎるので、今では下に舞い降りています。
替わって、屋根に上っているのは、軽いFRP製の鷲です。

公会堂の内部で、管理者の小林さんに説明をしていただきました。

昭和6年8月、鉄筋コンクリート造3階建、延べ面積約2846平方メートル、
大講堂収容人員1005席(改装後は751席)、当時の金額で17万円余をかけて公会堂は完成したそうです。
豊橋を代表するこの建築は、その美しい外観とあいまって市のシンボル的な建物として、今
も市民に親しまれる存在となっています。国登録有形文化財です。
魚町にあるのが豊橋名産ヤマサのちくわの本店。

札木を抜けて、見えてくるのが公会堂です。

公会堂のモニュメントはこの鷲。
建てられた時には、屋根に上がっていましたが、
コンクリート製で重すぎるので、今では下に舞い降りています。
替わって、屋根に上っているのは、軽いFRP製の鷲です。

公会堂の内部で、管理者の小林さんに説明をしていただきました。

昭和6年8月、鉄筋コンクリート造3階建、延べ面積約2846平方メートル、
大講堂収容人員1005席(改装後は751席)、当時の金額で17万円余をかけて公会堂は完成したそうです。
豊橋を代表するこの建築は、その美しい外観とあいまって市のシンボル的な建物として、今
も市民に親しまれる存在となっています。国登録有形文化財です。