2023年09月06日
その後の牛川の渡し
6月の集中豪雨で、牛川の渡しの渡船「ちぎり丸」が流されてしまった。
新聞記事やニュースで知り、ビックリしました。
気にしていたのですが、やっと昨日、現地へ行くことができました。
運休の立看です。
この2本の白いポールに、二重三重にもロープで係留してあったそうなのに。
対岸の「ちぎり丸」が接岸するところ。
残念ながら「ちぎり丸」の姿はありませんでした。
ふっと上流の方を見ると、なにやら小舟が見えます。
ひょっとしたら、と思いましたが。やはり違う小舟でした。
早く、「ちぎり丸」が戻ってくるといいのになあ、とつくづく思った一日でした。
新聞記事やニュースで知り、ビックリしました。
気にしていたのですが、やっと昨日、現地へ行くことができました。
運休の立看です。
この2本の白いポールに、二重三重にもロープで係留してあったそうなのに。
対岸の「ちぎり丸」が接岸するところ。
残念ながら「ちぎり丸」の姿はありませんでした。
ふっと上流の方を見ると、なにやら小舟が見えます。
ひょっとしたら、と思いましたが。やはり違う小舟でした。
早く、「ちぎり丸」が戻ってくるといいのになあ、とつくづく思った一日でした。
2023年04月30日
長篠設楽原ウォーク
長篠設楽原の戦いが行われた天正3年(1575年)から約450年経ちます。
NHK大河ドラマでは「どうする家康」が放映中。
この時期に、歴史に名が残る設楽原決戦場を舞台にリバーウォークを行いました。
スタートは長篠城址です。
5月5日には長篠合戦のぼりまつりのメインイベント火縄銃の演武が行われます。
近くの医王寺で5月4日は美味合戦が行われます。
NHK大河ドラマでは「どうする家康」が放映中。
この時期に、歴史に名が残る設楽原決戦場を舞台にリバーウォークを行いました。
スタートは長篠城址です。
5月5日には長篠合戦のぼりまつりのメインイベント火縄銃の演武が行われます。
近くの医王寺で5月4日は美味合戦が行われます。
2022年11月20日
豊川リバーウォーキング:豊川中流域と中世の菅沼家NO.4(ラスト)
ちさと郷土研究会の方々より、地域づくり活動の最近の活動のお話を聞きました。
事業計画や実績、小冊子「千郷物語」の作成発行、「野田城の戦いから450年」の啓蒙活動、
幟の製作設置、また、地区の区長会との協力によるイベント開催などを聞きました。
今まで手の入っていなかった大野田城跡を地元の人により整備されつつある。
ここは野田館跡で、菅沼家が来る以前に豪族の千秋氏や富永氏が住んでいた所だそうです。
やっと到着です。最近特に有名になっている「野田城跡」です。1日案内人のNさんより説明を受けています。
事業計画や実績、小冊子「千郷物語」の作成発行、「野田城の戦いから450年」の啓蒙活動、
幟の製作設置、また、地区の区長会との協力によるイベント開催などを聞きました。
今まで手の入っていなかった大野田城跡を地元の人により整備されつつある。
ここは野田館跡で、菅沼家が来る以前に豪族の千秋氏や富永氏が住んでいた所だそうです。
やっと到着です。最近特に有名になっている「野田城跡」です。1日案内人のNさんより説明を受けています。
2022年11月14日
2022第4回豊川リバーウォーキング実施:豊川中流域と中世の菅沼家
1週間前の11月5日(土)、第4回リバーウォーキングが実施されました。
今回のキャッチフレーズは「豊川中流域と中世の菅沼家」です。
まずは、JR新城駅前に集合・出発です。
駅前も随分変わりました、明るく広くなりましたね
主催者挨拶・今日のコースの説明、そして準備体操をして出発です。
まずは、近くにある「宗堅寺」を訪ねます。ここは、菅沼家の菩提所です。
野田城脇で武田信玄を撃ったと言われる「信玄砲」を所有しており、今は設楽原歴史資料館に保管展示されています。
また近年、有名になった「船長日記」も所有しています。まさに日本の歴史をかえたかかわりのあるお寺さんですね
そこから新城駅前の町内を通って幽玄川に出ました。この川が豊川(とよがわ)に流れ込む高台に、
新城(しんじょう)が築かれました。のちに新城古城(しんしろこじょう)と呼ばれるようになります。
幽玄川に沿ってしばらく下ると、旧155線にぶつかりその南側に、石柱の道標があります。
あっちは豊川(とよかわ)、こっちは遠州、そっちは拳母と書かれているようです。
黒塀の旧酒蔵の旧街道を南へウオーキングしていきました。
今回のキャッチフレーズは「豊川中流域と中世の菅沼家」です。
まずは、JR新城駅前に集合・出発です。
駅前も随分変わりました、明るく広くなりましたね
主催者挨拶・今日のコースの説明、そして準備体操をして出発です。
まずは、近くにある「宗堅寺」を訪ねます。ここは、菅沼家の菩提所です。
野田城脇で武田信玄を撃ったと言われる「信玄砲」を所有しており、今は設楽原歴史資料館に保管展示されています。
また近年、有名になった「船長日記」も所有しています。まさに日本の歴史をかえたかかわりのあるお寺さんですね
そこから新城駅前の町内を通って幽玄川に出ました。この川が豊川(とよがわ)に流れ込む高台に、
新城(しんじょう)が築かれました。のちに新城古城(しんしろこじょう)と呼ばれるようになります。
幽玄川に沿ってしばらく下ると、旧155線にぶつかりその南側に、石柱の道標があります。
あっちは豊川(とよかわ)、こっちは遠州、そっちは拳母と書かれているようです。
黒塀の旧酒蔵の旧街道を南へウオーキングしていきました。
2022年10月30日
布里用水
布里城は戦国時代の城なので、
布里には少なくともその頃には集落となっていました。
布里は山に囲まれた台地で、寒狭川と巴川が合流します。
水の利用には恵まれていたようです。
布里用水は明治18年に完成した用水です。
巴川の水を利用しています。
布里の高台を通って、
布里の町はずれまで導水します。
そして、このめがね橋で用水の役割を終えて、
余った水をこのめがね橋のところから放水しました。
まるで、国指定の重要文化財となっている熊本の通潤橋のミニ版ですね。
布里には少なくともその頃には集落となっていました。
布里は山に囲まれた台地で、寒狭川と巴川が合流します。
水の利用には恵まれていたようです。
布里用水は明治18年に完成した用水です。
巴川の水を利用しています。
布里の高台を通って、
布里の町はずれまで導水します。
そして、このめがね橋で用水の役割を終えて、
余った水をこのめがね橋のところから放水しました。
まるで、国指定の重要文化財となっている熊本の通潤橋のミニ版ですね。
タグ :布里用水
2022年10月23日
清らかな水で育つ鳳来牛
10月15日(土)は寒狭川に沿って、国道257号を歩きました。
見かけたのは、鳳来牛。
新城市のHPでは、新城市内に4軒の畜産農家があり、
「清らかな水とこだわりの飼料により育んだ上質な黒毛和牛」だそうです。
寒狭川沿いで育つ黒毛和牛。
まさに、清らかな水で育っています。
見かけたのは、鳳来牛。
新城市のHPでは、新城市内に4軒の畜産農家があり、
「清らかな水とこだわりの飼料により育んだ上質な黒毛和牛」だそうです。
寒狭川沿いで育つ黒毛和牛。
まさに、清らかな水で育っています。
2022年10月22日
寒狭川の中洲
10月15日(土)のリバーウォークでは寒狭川沿いの国道257号を歩きました。
恩原バス停付近の寒狭川には中洲があります。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、
写真に写る林は川の土砂が堆積した中洲に生えた林です。
ここで、中洲が終わります。
砂が堆積した中洲の様子がわかります。
国道沿いに看板がありました。
「森は水を生み 水は命を育み 風景は心を癒す」
恩原バス停付近の寒狭川には中洲があります。
写真ではわかりにくいかもしれませんが、
写真に写る林は川の土砂が堆積した中洲に生えた林です。
ここで、中洲が終わります。
砂が堆積した中洲の様子がわかります。
国道沿いに看板がありました。
「森は水を生み 水は命を育み 風景は心を癒す」
2022年10月20日
三河高原の清流が交わる大輪橋
段戸山、寒狭山を水源とする寒狭川と、
出來山を水源とする当貝津川が合流する場所に、
大輪橋があります。
大輪橋からの当貝津川の眺め。
当貝津川が合流して、
水量豊富で勢いがある清流、寒狭川です。
出來山を水源とする当貝津川が合流する場所に、
大輪橋があります。
大輪橋からの当貝津川の眺め。
当貝津川が合流して、
水量豊富で勢いがある清流、寒狭川です。
2022年10月19日
戦争遺構 市代橋
10月15日(土)豊川リバーウォークで、
田峯から寒狭川に沿って下ると。
市代橋(いちしろはし)があります。
市代橋は太平洋戦争の戦争遺構です。
太平洋戦争中に、貴金属供出により、
橋の欄干の金属を供出しました。
橋からの眺めは素晴らしい。
でも、景色に見とれて、橋から落ちないように。
田峯から寒狭川に沿って下ると。
市代橋(いちしろはし)があります。
市代橋は太平洋戦争の戦争遺構です。
太平洋戦争中に、貴金属供出により、
橋の欄干の金属を供出しました。
橋からの眺めは素晴らしい。
でも、景色に見とれて、橋から落ちないように。
タグ :市代橋
2022年10月17日
森林鉄道鰻沢線
田峯には田口線の田峯駅のすぐ近くに森林鉄道鰻沢線があります。
森林鉄道 鰻沢線は昭和6年に開通し、
材木を運搬していました。
その森林鉄道のトンネルが田峯にあります。
トンネルは真っ暗なので、懐中電灯が必要です。
トンネルを抜けると、
昔は、遊歩道がありましたが、
今は荒れています。
森林鉄道は昭和38年に廃線になりました。
森林鉄道 鰻沢線は昭和6年に開通し、
材木を運搬していました。
その森林鉄道のトンネルが田峯にあります。
トンネルは真っ暗なので、懐中電灯が必要です。
トンネルを抜けると、
昔は、遊歩道がありましたが、
今は荒れています。
森林鉄道は昭和38年に廃線になりました。