2011年04月19日
桜通りの 桜天神社
名古屋市の駅前大通は桜通といいます。
その桜通に桜がないと、4月9日のブログでお伝えしたところ、
「くじら山こうじ」さんから桜天神社が桜通りの云われと教えていただきました。
行ってきました。
これが桜天神社です。

「桜天神社の起源は、菅原道真公への信仰が篤かった織田信長の父・信秀が
那古野城の中に祠を設け、道真公の木像をお祀りしたのがはじまりとされ、
1538年(天文7年)現在地に御遷座されました。
1599年(慶長4年)9月9日、福島正則が制令を建て、
名古屋城を築城する折には、
加藤清正が桜の名所だったこの地場所を本陣とし、築城の指揮をとりました。
築城当時の名古屋は、北は片端線、南は広小路、東は久屋大通、西は
堀川までの9丁四方を、東西10本、南北10本の道路で碁盤の目のように区割りされていたのだそうで、
東西9町、南北9町、計81町の中心に位置していたのが桜天神社でした。」
と、こちらのHPに書かれています。
桜天神社は名古屋城の築城以前からこの地にあったのですね。
名古屋城下の頃の桜天神社は、このレリーフから忍ばれます。

今の桜天神社です。
拝殿は突き当りの右側に隠れています。

天神社なので、牛が祭られています。

その桜通に桜がないと、4月9日のブログでお伝えしたところ、
「くじら山こうじ」さんから桜天神社が桜通りの云われと教えていただきました。
行ってきました。
これが桜天神社です。
「桜天神社の起源は、菅原道真公への信仰が篤かった織田信長の父・信秀が
那古野城の中に祠を設け、道真公の木像をお祀りしたのがはじまりとされ、
1538年(天文7年)現在地に御遷座されました。
1599年(慶長4年)9月9日、福島正則が制令を建て、
名古屋城を築城する折には、
加藤清正が桜の名所だったこの地場所を本陣とし、築城の指揮をとりました。
築城当時の名古屋は、北は片端線、南は広小路、東は久屋大通、西は
堀川までの9丁四方を、東西10本、南北10本の道路で碁盤の目のように区割りされていたのだそうで、
東西9町、南北9町、計81町の中心に位置していたのが桜天神社でした。」
と、こちらのHPに書かれています。
桜天神社は名古屋城の築城以前からこの地にあったのですね。
名古屋城下の頃の桜天神社は、このレリーフから忍ばれます。
今の桜天神社です。
拝殿は突き当りの右側に隠れています。
天神社なので、牛が祭られています。
Posted by むぎゅむぎゅ at 20:35│Comments(0)
│名所旧跡