2011年09月21日
豊川水位上昇中

豊川上流では激しい雨だったため水位が増し豊川下流域にもその影響が出ています。
豊川左岸の遊水池(霞堤)でも予想通り水が流れ込み,家屋,田畑,ビニールハウスなど浸水しています。
三上橋の河川敷でも水につかり,一面,河川となっていました。
2011年09月20日
「みんなで歩こう豊川」下流コースの見どころ
11月5日開催予定の下流コースの見どころを紹介します。
JR飯田線野田城駅を降りるとすぐに、
ゴジラが出迎えてくれます。
横浜ゴムがタイヤでつくったゴジラです。

白いアーチの野田城大橋です。

ここから下流に向かいます。
吉祥山が正面に見えます。
JR飯田線野田城駅を降りるとすぐに、
ゴジラが出迎えてくれます。
横浜ゴムがタイヤでつくったゴジラです。
白いアーチの野田城大橋です。
ここから下流に向かいます。
吉祥山が正面に見えます。
2011年09月19日
「みんなで歩こう豊川」が広報に載った
「みんなで歩こう豊川」の案内が豊橋市と新城市の広報に載りました。
こちらは豊橋市の広報です。


こちらは新城市の広報です。


豊川市の広報にも依頼したのですが、紙面の都合がつかなかったとのことでした。
皆さんの参加をお待ちしています。
こちらは豊橋市の広報です。


こちらは新城市の広報です。


豊川市の広報にも依頼したのですが、紙面の都合がつかなかったとのことでした。
皆さんの参加をお待ちしています。
2011年09月18日
現代の柏木浜
縄文時代は貝や狩猟をしながら暮らしていた縄文人。
平安時代はしかすがの渡しであった東海道の渡し場。
現代の柏木浜は、パターゴルフ場です。
国道247号小坂井バイパスの横に造られています。

料金は大人500円と、リーズナブル。

話は変わりますが、
近くに水場がありました。
今は、このあたりの湧水は枯れてしまいましたが、
かつては、こんこんと湧き出て、
この地域の人々の共同の水場だったのです。

平安時代はしかすがの渡しであった東海道の渡し場。
現代の柏木浜は、パターゴルフ場です。
国道247号小坂井バイパスの横に造られています。
料金は大人500円と、リーズナブル。
話は変わりますが、
近くに水場がありました。
今は、このあたりの湧水は枯れてしまいましたが、
かつては、こんこんと湧き出て、
この地域の人々の共同の水場だったのです。
2011年09月17日
平井稲荷山貝塚
縄文時代の地球温暖期の海面は今より3~5m高く、
豊川下流域は遠浅の海だった。
人々は両岸の台地に暮らし、小坂井町や牟呂の貝塚は当時の海岸線を物語る。
平井稲荷山貝塚はそのひとつ。
3000年から2300年前の縄文晩期だそうです。

石碑です。
石碑の周囲には貝殻が散乱しています。


貝塚はこのように分布しています。

湧水も出ていたようです。

現代の平井稲荷山貝塚の近くを新幹線が通ります。

豊川下流域は遠浅の海だった。
人々は両岸の台地に暮らし、小坂井町や牟呂の貝塚は当時の海岸線を物語る。
平井稲荷山貝塚はそのひとつ。
3000年から2300年前の縄文晩期だそうです。
石碑です。
石碑の周囲には貝殻が散乱しています。
貝塚はこのように分布しています。
湧水も出ていたようです。
現代の平井稲荷山貝塚の近くを新幹線が通ります。
2011年09月16日
2011年09月15日
今日の発見、彼岸花
今日は、用事で新城・鳳来方面へ行ってきました
1.三河大野の彼岸花
大野頭首工近くで、色鮮やか群生に目が止まりました。
それは、彼岸花。ああ、そんな時期になったんだな、と一瞬、時間が止まりました

2.三河東郷の彼岸花
それじゃー、2,3年前小グループでウォーキングしたあそこは、今たくさん咲いているかな?
今回は、一部しか咲いていません。草刈で一緒に刈られたのだろうか

3.新城・杉山の彼岸花
少し残念に思いながら帰路につきました。
諦めるには、まだ早いぞ!見つけました。
咲いていましたよ、まだまだ咲きますよ新城・杉山の彼岸花


1.三河大野の彼岸花
大野頭首工近くで、色鮮やか群生に目が止まりました。
それは、彼岸花。ああ、そんな時期になったんだな、と一瞬、時間が止まりました

2.三河東郷の彼岸花
それじゃー、2,3年前小グループでウォーキングしたあそこは、今たくさん咲いているかな?
今回は、一部しか咲いていません。草刈で一緒に刈られたのだろうか

3.新城・杉山の彼岸花
少し残念に思いながら帰路につきました。
諦めるには、まだ早いぞ!見つけました。
咲いていましたよ、まだまだ咲きますよ新城・杉山の彼岸花

2011年09月15日
弥生時代の竪穴住居
馬越長火塚古墳は、約1,400年前の前方後円墳でしたが、
この瓜郷の竪穴住居は、約1800年前の弥生時代中期のものです。


瓜郷遺跡は低湿地に囲まれた自然堤防の上に立地し、
稲作のほか、漁労、狩猟がおこなわれていたそうです。
土器、石器、骨角噐、木製農具の出土品があり、
豊橋市美術博物館に収蔵されています。
この瓜郷の竪穴住居は、約1800年前の弥生時代中期のものです。
瓜郷遺跡は低湿地に囲まれた自然堤防の上に立地し、
稲作のほか、漁労、狩猟がおこなわれていたそうです。
土器、石器、骨角噐、木製農具の出土品があり、
豊橋市美術博物館に収蔵されています。
2011年09月14日
馬越長火塚古墳のある風景
馬越川の南を流れる神田川・三輪川沿いの湿地では、弥生時代に米作が始まり、農耕集落が形成され、有力首長が登場し、大きな墓に葬られました。
この地域最大の古墳、馬越長火塚古墳は、県道81号の看板が目印。

この二股は左に進みます。

柿の木畑の間を抜けていきます。

柿の木畑の間に水田もあります。

県道から約10分ほど歩くと、馬越長火塚古墳が見えてきます。
この林が古墳です。

この地域最大の古墳、馬越長火塚古墳は、県道81号の看板が目印。
この二股は左に進みます。
柿の木畑の間を抜けていきます。
柿の木畑の間に水田もあります。
県道から約10分ほど歩くと、馬越長火塚古墳が見えてきます。
この林が古墳です。
2011年09月13日
馬越長火塚古墳
馬越長火塚古墳は、約1,400年前の前方後円墳で、愛知県下最大級の横穴式石室の古墳です。
前方の部分です。

こちらは、後方の円墳部分です。

入り口から入ります。

一番奥は大きい一枚の岩です。

天井も大きい岩です。

側面は小さめの岩が積んであります。

アンモナイトです。

うそです。
石室の住民 カタツムリです。
古墳の全体図です。

確かに、巨大な古墳でした。
こんなに巨大な古墳が身近に見れて感激しました。
馬越長火塚古墳は、豊橋市石巻本町にあります。
前方の部分です。
こちらは、後方の円墳部分です。
入り口から入ります。
一番奥は大きい一枚の岩です。
天井も大きい岩です。
側面は小さめの岩が積んであります。
アンモナイトです。
うそです。
石室の住民 カタツムリです。
古墳の全体図です。
確かに、巨大な古墳でした。
こんなに巨大な古墳が身近に見れて感激しました。
馬越長火塚古墳は、豊橋市石巻本町にあります。