2011年06月30日
岩の造形
落石防護シェルターの下をくぐるように、
岩が宇連川に顔を覗かせます。

岩を見る位置を少し変えるだけで、

尖ったり、形は変化します。

宇連川は、平べったい川底の岩と、ごつごつした岩が見事に調和しています。
岩が宇連川に顔を覗かせます。
岩を見る位置を少し変えるだけで、
尖ったり、形は変化します。
宇連川は、平べったい川底の岩と、ごつごつした岩が見事に調和しています。
2011年06月30日
飯田線の安全を守る
飯田線の安全を守るのが 落石防護柵。
写真の右側の擁壁の上に柵があります。

でも、木が伐採された斜面を見ると、
この柵くらいで、落ちてくる大きな岩を防いでくれるのか、
少し心配です。

でも、これなら安心。
巨大な落石防護シェルター。

さらに、飯田線の安全を確保してくれるのが、保線作業。
線路の路盤を補修しています。
写真の右側の擁壁の上に柵があります。
でも、木が伐採された斜面を見ると、
この柵くらいで、落ちてくる大きな岩を防いでくれるのか、
少し心配です。
でも、これなら安心。
巨大な落石防護シェルター。
さらに、飯田線の安全を確保してくれるのが、保線作業。
線路の路盤を補修しています。
2011年06月29日
飯田線の悲劇
飯田線は宇連川沿いを心地よく走ります。

飯田線は宇連川と山の間の狭い空間を走ります。

山沿いで怖いのは、落石。

昭和20年2月17日、悲劇が飯田線を襲います。
それはちょうどこの場所。
垂直の岩が飯田線と道路に覆いかぶさっています。

飯田線を襲った悲劇は、
「土砂崩れで、客車2両が宇連川に転落し、
20人が死亡し、23人が負傷したのです。」
飯田線は宇連川と山の間の狭い空間を走ります。
山沿いで怖いのは、落石。
昭和20年2月17日、悲劇が飯田線を襲います。
それはちょうどこの場所。
垂直の岩が飯田線と道路に覆いかぶさっています。
飯田線を襲った悲劇は、
「土砂崩れで、客車2両が宇連川に転落し、
20人が死亡し、23人が負傷したのです。」
2011年06月28日
岩をくり抜く
加周橋から下流を眺めると、
水遊びに適した淵と浅場の平べったい川。

上流を眺めると、岩の渓谷。

宇連川のすぐ横に飯田線のトンネル。

飯田線の上部に積み重なるように、望月街道のトンネル。

飯田線のトンネルと、望月街道のトンネルがくり抜いたのは、
この巨大な安山岩。

水遊びに適した淵と浅場の平べったい川。
上流を眺めると、岩の渓谷。
宇連川のすぐ横に飯田線のトンネル。
飯田線の上部に積み重なるように、望月街道のトンネル。
飯田線のトンネルと、望月街道のトンネルがくり抜いたのは、
この巨大な安山岩。
2011年06月26日
家族連れも安心 宇連川
宇連川の深みでは、若者が思う存分楽しんでいます。

浅場もありますので、家族連れも安心して楽しめます。

ゴムボートもいいですね。

でも、流れが速いところもありますので、気をつけてください。

宇連川の湯谷園地では、大人から子供まで色々な水遊びが楽しめます。
浅場もありますので、家族連れも安心して楽しめます。
ゴムボートもいいですね。
でも、流れが速いところもありますので、気をつけてください。
宇連川の湯谷園地では、大人から子供まで色々な水遊びが楽しめます。
2011年06月26日
落下中
暑くなると、飛びたくなるのです。
そして、只今、落下中。

ところで、上の写真に若者が4人いるのが、分かりましたか。
ひとりは、落下中の人。
川の中に、二人。
そして、右上の岩に張り付いている人がひとり。
若者は冒険好きですね。

こんな高い橋の上からジャンプして、

見事、着水。
宇連川、湯谷園地の夏です。

そして、只今、落下中。
ところで、上の写真に若者が4人いるのが、分かりましたか。
ひとりは、落下中の人。
川の中に、二人。
そして、右上の岩に張り付いている人がひとり。
若者は冒険好きですね。
こんな高い橋の上からジャンプして、
見事、着水。
宇連川、湯谷園地の夏です。
2011年06月26日
先祖帰りのヒヨクヒバ
淵龍寺にある名木。
「先祖帰りのヒヨクヒバ」 名前に興味がわきます。

ヒヨクヒバは「比翼檜葉」と書きます。
名前の通り、翼のように広がった檜の葉です。

ところが、上部の葉は、少し尖って、サワラの様であることから、
「先祖返りした」ということだそうです。
話をお聞きすると、なるほど と思います。
「先祖帰りのヒヨクヒバ」 名前に興味がわきます。
ヒヨクヒバは「比翼檜葉」と書きます。
名前の通り、翼のように広がった檜の葉です。
ところが、上部の葉は、少し尖って、サワラの様であることから、
「先祖返りした」ということだそうです。
話をお聞きすると、なるほど と思います。
2011年06月25日
これぞ 文化財
淵龍寺さんの土間を拝見しました。

見上げると、太い梁と、駕籠。

壁面には、木刀と天秤。

天秤とは、昔の秤です。

床は、三和土。
三和土と書いて、「たたき」といいます。
語源は、土と、にがりと、石灰の三つを混ぜ合わせたからだそうです。

実際、これで、「たたく」そうです。

淵龍寺の土間は、上から下まで、まさに、文化財。
勉強になりました。
(実際は、文化財登録はしていません。念のために申し添えます。)
見上げると、太い梁と、駕籠。
壁面には、木刀と天秤。
天秤とは、昔の秤です。

床は、三和土。
三和土と書いて、「たたき」といいます。
語源は、土と、にがりと、石灰の三つを混ぜ合わせたからだそうです。
実際、これで、「たたく」そうです。
淵龍寺の土間は、上から下まで、まさに、文化財。
勉強になりました。
(実際は、文化財登録はしていません。念のために申し添えます。)
2011年06月25日
大野の名刹 渕龍寺
三河大野にある 名刹 天徳山渕龍寺を訪れました。
えんりゅうじ と呼びます。

突然の訪問にもかかわらず、本堂に招き入れていただきました。


本堂から眺める庭は、鐘付き堂や、岩、大木と、風情があります。

渕龍寺は、南北朝時代の大野の支配者、鈴木喜三郎隆友に由来し、
引佐町奥山方広寺(臨済宗)の流れをくむ寺だそうです。

えんりゅうじ と呼びます。
突然の訪問にもかかわらず、本堂に招き入れていただきました。
本堂から眺める庭は、鐘付き堂や、岩、大木と、風情があります。
渕龍寺は、南北朝時代の大野の支配者、鈴木喜三郎隆友に由来し、
引佐町奥山方広寺(臨済宗)の流れをくむ寺だそうです。
2011年06月24日
乗本から川船が向かう先
乗本から川船が向かう先は吉田湊。

吉田湊は江戸回船4艘、伊勢尾張通船17艘を所有する大湊でした。

こちらは、「三河国名所図絵」の「伊勢出帆」。

この写真は豊橋市作成「三河湾は私たちの宝!」から引用しました。
吉田湊は江戸回船4艘、伊勢尾張通船17艘を所有する大湊でした。

こちらは、「三河国名所図絵」の「伊勢出帆」。

この写真は豊橋市作成「三河湾は私たちの宝!」から引用しました。