2011年06月18日
赤引糸
桑の実です。

この地方は服部郷と呼ばれ、
たくさんの野生の桑が繁茂し、
生糸が紡がれ、赤引糸として、
明治維新まで伊勢神宮に奉納されていたそうです。
そのことがこの大野神社の

隣にある服部神社がその名残です。

東三河は養蚕業が盛んでした。
昭和30年代にはあちらこちらに桑畑があって、
桑の実を口の中を紫色にしていただきました。

この地方は服部郷と呼ばれ、
たくさんの野生の桑が繁茂し、
生糸が紡がれ、赤引糸として、
明治維新まで伊勢神宮に奉納されていたそうです。
そのことがこの大野神社の
隣にある服部神社がその名残です。
東三河は養蚕業が盛んでした。
昭和30年代にはあちらこちらに桑畑があって、
桑の実を口の中を紫色にしていただきました。
2011年06月18日
三河大野探訪
江戸時代に鳳来寺と秋葉山を結ぶ秋葉海道ができ、
明治時代には豊橋と結ぶ別所海道が出来て、
三河大野が繁栄しました。
ここが旧別所街道と旧秋葉海道の交差点です。

オレンジ色のベストを着ているメンバーが観察しているのが、
この「大野町道路元標」です。

この交差点に若松屋旅館があります。
かつて、街道沿いに数件の宿屋がありましたが、
現在は、若松屋1軒が営業しています。

その隣にあるのが、鳳来館。
明治14年に別所街道が開通すると、
製糸や林業で大いに栄え、
明治27年に大野銀行が設立されました。
この鉄筋コンクリートの建物は、銀行として、
大正14年に完成しました。

現在の大野の街並みです。
古い建物もまだ残っています。

この記事は、「豊橋技術科学大学建築史研究室+プロジェクト・ルネサンス」作成の
「 江戸時代からずっと,三河大野」を参考にしました。
明治時代には豊橋と結ぶ別所海道が出来て、
三河大野が繁栄しました。
ここが旧別所街道と旧秋葉海道の交差点です。
オレンジ色のベストを着ているメンバーが観察しているのが、
この「大野町道路元標」です。
この交差点に若松屋旅館があります。
かつて、街道沿いに数件の宿屋がありましたが、
現在は、若松屋1軒が営業しています。
その隣にあるのが、鳳来館。
明治14年に別所街道が開通すると、
製糸や林業で大いに栄え、
明治27年に大野銀行が設立されました。
この鉄筋コンクリートの建物は、銀行として、
大正14年に完成しました。
現在の大野の街並みです。
古い建物もまだ残っています。
この記事は、「豊橋技術科学大学建築史研究室+プロジェクト・ルネサンス」作成の
「 江戸時代からずっと,三河大野」を参考にしました。
2011年06月18日
天平の遺産
羊形硯です。
奈良時代に平城京から伝わり、
国府などの国の役所などの関連遺跡から出土します。
シルクロードの香りがします。

こちらは、国府の役所の事務で使われた硯です。

これらの出土品が「三河天平の里資料館」で展示されています。
奈良時代に平城京から伝わり、
国府などの国の役所などの関連遺跡から出土します。
シルクロードの香りがします。
こちらは、国府の役所の事務で使われた硯です。
これらの出土品が「三河天平の里資料館」で展示されています。