2011年05月15日
豊川市の液状化
豊橋市、田原市、西尾市と液状化の説明をしてきました。
今回は、豊川市の液状化の説明をします。
先ず、もう一度、東三河の地質を確認します。
豊川付近に沖積低地がありますが、小坂井から豊川市役所をとおり、一宮付近まで、
小坂井台地が広がっています。
薄い緑色です。

こちらは、震度マップです。
震源地に近いほど、即ち海に近い方で、震度6強のオレンジや、
震度6弱の黄色が目立ちます。

こちらが、液状化マップです。
やはり南部の方で、液状化の可能性が極めて高い赤色の表示があるのですが、
意外なことに、北東の江島の辺りでも、液状化の可能性が極めて高くなっています。
また、台地の所々でも、液状化の可能性が極めて高い赤色が見られます。
それぞれののメッシュでの地盤情報が分からないので、理由は分かりません。
もし、分かったら、お伝えします。

震度や液状化の状況は、豊川市のHPにありますので、正確な位置はご確認ください。
今回は、豊川市の液状化の説明をします。
先ず、もう一度、東三河の地質を確認します。
豊川付近に沖積低地がありますが、小坂井から豊川市役所をとおり、一宮付近まで、
小坂井台地が広がっています。
薄い緑色です。

こちらは、震度マップです。
震源地に近いほど、即ち海に近い方で、震度6強のオレンジや、
震度6弱の黄色が目立ちます。

こちらが、液状化マップです。
やはり南部の方で、液状化の可能性が極めて高い赤色の表示があるのですが、
意外なことに、北東の江島の辺りでも、液状化の可能性が極めて高くなっています。
また、台地の所々でも、液状化の可能性が極めて高い赤色が見られます。
それぞれののメッシュでの地盤情報が分からないので、理由は分かりません。
もし、分かったら、お伝えします。

震度や液状化の状況は、豊川市のHPにありますので、正確な位置はご確認ください。
2011年05月15日
とよかわオープンカレッジ
豊川市では、知識や特技など自分の得意なことを教えたい方が講師となり、
学びたい方が受講する学習者同士のつながりによって育くむ、
市民が主体となって運営する学びの場として、
とよかわオープンカレッジを開校しています。

「宝飯郡の消滅と新豊川市の誕生」を受講しました。
14日土曜日に第1回目のカレッジがありました。
講師は栗田昌之先生で、本職は高校で地理を教えていたそうです。
退職後には、豊川市史、小坂井町史の編纂などでご活躍されました。

この日のテーマは、「律令国家のなりたちと穂国」です。
初日から興味が湧くテーマです。

配布された資料です。

ごく簡単にカレッジの成果をご紹介します。
大宝律令(701年)以前には、
西三河に「参河国造(みかわのくにのみやつこ)」が矢作川流域を支配し、
「穂国国造(ほのくにのみやつこ)」が豊川流域を支配していました。
大化年間(645年頃)「参河国」と「穂国」が統合して、国名が「三河」となった。
「穂国」の名称は、「穂評(郡)ほごおり」として受け継がれた。
国名の由来は、
矢作川=「御河(みかわ)」⇒「参河」
本宮山=「秀山(ほのやま)」⇒「秀国(ほのくに)」⇒「穂国」
だそうです。
もうひとつ。写真で「宝飫郡(ほおぐん)」とあります。
「飫」とは、「よ、又は、お」と発音し、満腹のように物が豊かなことを表すそうです。
「穂郡」⇒「宝飫(ほお)郡」となり、後に、誤記により、「宝飯(ほい)郡」に変わったそうです。
大変勉強になりました。
学びたい方が受講する学習者同士のつながりによって育くむ、
市民が主体となって運営する学びの場として、
とよかわオープンカレッジを開校しています。
「宝飯郡の消滅と新豊川市の誕生」を受講しました。
14日土曜日に第1回目のカレッジがありました。
講師は栗田昌之先生で、本職は高校で地理を教えていたそうです。
退職後には、豊川市史、小坂井町史の編纂などでご活躍されました。
この日のテーマは、「律令国家のなりたちと穂国」です。
初日から興味が湧くテーマです。
配布された資料です。
ごく簡単にカレッジの成果をご紹介します。
大宝律令(701年)以前には、
西三河に「参河国造(みかわのくにのみやつこ)」が矢作川流域を支配し、
「穂国国造(ほのくにのみやつこ)」が豊川流域を支配していました。
大化年間(645年頃)「参河国」と「穂国」が統合して、国名が「三河」となった。
「穂国」の名称は、「穂評(郡)ほごおり」として受け継がれた。
国名の由来は、
矢作川=「御河(みかわ)」⇒「参河」
本宮山=「秀山(ほのやま)」⇒「秀国(ほのくに)」⇒「穂国」
だそうです。
もうひとつ。写真で「宝飫郡(ほおぐん)」とあります。
「飫」とは、「よ、又は、お」と発音し、満腹のように物が豊かなことを表すそうです。
「穂郡」⇒「宝飫(ほお)郡」となり、後に、誤記により、「宝飯(ほい)郡」に変わったそうです。
大変勉強になりました。
