2010年12月31日
おもいやり地蔵
豊川リバーウォークは、豊川流域の地域資源や魅力を再発見・再認識できる情報を発信してきました。
今日、このお地蔵さんを発見しました。

このお地蔵さんは人目に付かないところにあります。

光輝保育園の脇を通り抜けていくと、

お地蔵さんが迎えてくれます。

光輝院というお寺のお地蔵さまでした。

一般の人の眼には触れにくいお地蔵さんですが、
光輝保育園の園児には、おもいやりの心が育っていることと思います。
新たな年を迎えますが、
豊川リバーウォークに参加してくれた人、
応援してくれた人、
ブログを見てくれている多くの人に感謝しながら、
豊川流域の地域資源や魅力を発信していこうと思います。
来年もよろしくお願いします。

今日、このお地蔵さんを発見しました。
このお地蔵さんは人目に付かないところにあります。
光輝保育園の脇を通り抜けていくと、
お地蔵さんが迎えてくれます。
光輝院というお寺のお地蔵さまでした。
一般の人の眼には触れにくいお地蔵さんですが、
光輝保育園の園児には、おもいやりの心が育っていることと思います。
新たな年を迎えますが、
豊川リバーウォークに参加してくれた人、
応援してくれた人、
ブログを見てくれている多くの人に感謝しながら、
豊川流域の地域資源や魅力を発信していこうと思います。
来年もよろしくお願いします。
2010年12月31日
2010年12月31日
七福神 150万円
この木彫りの工芸品の七福神は150万円です。

値札をご確認ください。

この馬の工芸品は95万円です。

この美術品卸市で売られています。

ここは、豊川稲荷の総門を抜け、

総門に近い屋台の左側にあります。

正月三が日で、売れてしまうでしょうか?
値札をご確認ください。
この馬の工芸品は95万円です。
この美術品卸市で売られています。
ここは、豊川稲荷の総門を抜け、
総門に近い屋台の左側にあります。
正月三が日で、売れてしまうでしょうか?
タグ :豊川稲荷
2010年12月31日
豊川稲荷門前は正月準備中
豊川稲荷門前は正月準備中。
紅白の幕の飾り付け。

干支の兎も、用意万全。

しあわせ大福もスタンバイ完了。

豊川いなり寿司はもちろん。

縁起だるまや、

熊手は、千円、二千円、一万円と、

これらのお土産や縁起ものは、
初詣客の皆さんには幸せを、
豊川稲荷の門前には、多大な経済効果をもたらしてくれます。
そして、地域全体の活性化につながります。
紅白の幕の飾り付け。
干支の兎も、用意万全。
しあわせ大福もスタンバイ完了。
豊川いなり寿司はもちろん。
縁起だるまや、
熊手は、千円、二千円、一万円と、
これらのお土産や縁起ものは、
初詣客の皆さんには幸せを、
豊川稲荷の門前には、多大な経済効果をもたらしてくれます。
そして、地域全体の活性化につながります。
2010年12月31日
もう少し寄り道 ilexテラス
牧野成定公廟のすぐ東側には、ilexテラスがあります。

ilexテラスは、スポーツ施設や

子供服や

雑貨などの専門店、shop ilex がある、
こじんまりとした複合商業空間です。

私がたまに行くのは、ここ マッターホーン。

昔からの定番のケーキが美味しい。

ilexテラスは、スポーツ施設や
子供服や
雑貨などの専門店、shop ilex がある、
こじんまりとした複合商業空間です。
私がたまに行くのは、ここ マッターホーン。
昔からの定番のケーキが美味しい。
2010年12月31日
史跡巡りの途中でちょっと寄り道、豊川市民病院
牧野成定公廟のすぐ近くに、豊川市民病院があります。
各地の市民病院が医師不足や経営難になる中で、
豊川市民病院の実態はよく判りませんが、
多くの人が入院、通院していることは、間違いありません。
病院の入り口は、車で大渋滞です。

南大通りも病院へ向かう車で1車線が渋滞し、
バスは中央車線で、乗客の乗り降りを余儀なくされています。

病院の前の生活道路も車がぎっしりです。

現在の市民病院は敷地が狭く、駐車スペースが少ないです。
また、病院の建物自体も老朽化しています。
このため、豊川市では、名鉄豊川線八幡駅前に新しく市民病院を建設しようとしています。
それが、ここ。
スズキ自動車豊川工場の敷地に、自動車のプールがありましたが、
現在、その敷地の舗装を取り壊しています。

こちらもかつては、グラウンドがありましたが、撤去されました。

この敷地に、新市民病院を建設しようとしています。
平成25年度の開業に向け、基本設計が出来上がったようです。
現在の敷地2.5haから4.2haに拡大します。
現在の敷地内駐車台数280台から1060台に増加します。
八幡駅前であり、鉄道利用もできますし、
自動車でも、駐車場が多くなって、交通は便利になりますね。
建設事業費273億円です。

新市民病院のできるところは、こちらです。
各地の市民病院が医師不足や経営難になる中で、
豊川市民病院の実態はよく判りませんが、
多くの人が入院、通院していることは、間違いありません。
病院の入り口は、車で大渋滞です。
南大通りも病院へ向かう車で1車線が渋滞し、
バスは中央車線で、乗客の乗り降りを余儀なくされています。
病院の前の生活道路も車がぎっしりです。
現在の市民病院は敷地が狭く、駐車スペースが少ないです。
また、病院の建物自体も老朽化しています。
このため、豊川市では、名鉄豊川線八幡駅前に新しく市民病院を建設しようとしています。
それが、ここ。
スズキ自動車豊川工場の敷地に、自動車のプールがありましたが、
現在、その敷地の舗装を取り壊しています。
こちらもかつては、グラウンドがありましたが、撤去されました。
この敷地に、新市民病院を建設しようとしています。
平成25年度の開業に向け、基本設計が出来上がったようです。
現在の敷地2.5haから4.2haに拡大します。
現在の敷地内駐車台数280台から1060台に増加します。
八幡駅前であり、鉄道利用もできますし、
自動車でも、駐車場が多くなって、交通は便利になりますね。
建設事業費273億円です。

新市民病院のできるところは、こちらです。
2010年12月31日
牛久保史跡巡りⅥ
牧野成定公廟です。

牧野成定は第2代牛久保城主として、徳川家康に従い、
吉田城攻略の際に活躍したそうです。
廟の墓碑は1684年に成定の曾孫によって、光輝院に建てられたそうです。
昔は、このあたりまで、光輝院の境内だったようです。

公廟の隣には、天王社があります。

牧野成定は第2代牛久保城主として、徳川家康に従い、
吉田城攻略の際に活躍したそうです。
廟の墓碑は1684年に成定の曾孫によって、光輝院に建てられたそうです。
昔は、このあたりまで、光輝院の境内だったようです。
公廟の隣には、天王社があります。
2010年12月30日
牛久保史跡巡りⅤ
ここが山本勘助の墓のある長谷寺です。
2007年のNHK大河ドラマ風林火山の放映時には多くの人が訪れました。

「山本勘助のふるさと」の旗は新しくなっています。

摩利支天像の案内看板です。

大河ドラマでもご存じのように、勘助の襟にかけていたお守りでした。
摩利支天像は本堂の厨子に安置されています。
パンフレットのほうが分かりやすいので、お墓とともに紹介します。

2007年のNHK大河ドラマ風林火山の放映時には多くの人が訪れました。
「山本勘助のふるさと」の旗は新しくなっています。
摩利支天像の案内看板です。
大河ドラマでもご存じのように、勘助の襟にかけていたお守りでした。
摩利支天像は本堂の厨子に安置されています。
パンフレットのほうが分かりやすいので、お墓とともに紹介します。

2010年12月30日
牛久保史跡巡りⅣ
山本勘助の墓のある長谷寺に行く途中で、大林勘左衛門屋敷跡発見。
この道は自動車で良く通りますが、全く気がつきませんでした。

こんな木柱は、普通気がつかないですよね。
大林勘左衛門貞次屋敷跡とあります。

さらに、この分かれ道で、左側の細い道を通りたくなりました。

やはり、お寺があります。若子山の山門。

こちらは、台北山と書かれた浄福寺の山門。

浄福寺は庭がきれいです。

もう少し行くと、石塔があります。
なかなか風情のある通りです。

庭のきれいな浄福寺はここです。
このあたりは寺が多いです。交差点名も寺町です。
この道は自動車で良く通りますが、全く気がつきませんでした。
こんな木柱は、普通気がつかないですよね。
大林勘左衛門貞次屋敷跡とあります。
さらに、この分かれ道で、左側の細い道を通りたくなりました。
やはり、お寺があります。若子山の山門。
こちらは、台北山と書かれた浄福寺の山門。
浄福寺は庭がきれいです。
もう少し行くと、石塔があります。
なかなか風情のある通りです。
庭のきれいな浄福寺はここです。
このあたりは寺が多いです。交差点名も寺町です。
2010年12月30日
牛久保史跡巡りⅢ 八幡社
牛久保史跡巡りの③八幡社です。
奈良時代に仁徳天皇を祭ったのが始まりのようです。

八幡社では、毎年4月上旬に天下の奇祭「うなごうじ祭り(若葉祭り)」が開かれます。
ここにその謂れが書いてありますが、
牧野古伯を始め歴代の城主が若葉祭りの際、領民に酒をふるまい、
酒に酔った領民が帰り道にごろごろしたのがうなごうじ祭りの形となったとのことです。

境内には、悠仁親王の誕生を記念した植樹もあります。

次は山本寛助の墓のある長谷寺に向かいます。
奈良時代に仁徳天皇を祭ったのが始まりのようです。
八幡社では、毎年4月上旬に天下の奇祭「うなごうじ祭り(若葉祭り)」が開かれます。
ここにその謂れが書いてありますが、
牧野古伯を始め歴代の城主が若葉祭りの際、領民に酒をふるまい、
酒に酔った領民が帰り道にごろごろしたのがうなごうじ祭りの形となったとのことです。
境内には、悠仁親王の誕生を記念した植樹もあります。
次は山本寛助の墓のある長谷寺に向かいます。