2010年12月30日

牛久保史跡巡りⅤ

ここが山本勘助の墓のある長谷寺です。
2007年のNHK大河ドラマ風林火山の放映時には多くの人が訪れました。


「山本勘助のふるさと」の旗は新しくなっています。


摩利支天像の案内看板です。


大河ドラマでもご存じのように、勘助の襟にかけていたお守りでした。
摩利支天像は本堂の厨子に安置されています。
パンフレットのほうが分かりやすいので、お墓とともに紹介します。



  


Posted by むぎゅむぎゅ at 21:17Comments(0)神社仏閣

2010年12月30日

牛久保史跡巡りⅣ

山本勘助の墓のある長谷寺に行く途中で、大林勘左衛門屋敷跡発見。
この道は自動車で良く通りますが、全く気がつきませんでした。


こんな木柱は、普通気がつかないですよね。
大林勘左衛門貞次屋敷跡とあります。


さらに、この分かれ道で、左側の細い道を通りたくなりました。


やはり、お寺があります。若子山の山門。


こちらは、台北山と書かれた浄福寺の山門。


浄福寺は庭がきれいです。


もう少し行くと、石塔があります。
なかなか風情のある通りです。


庭のきれいな浄福寺はここです。
このあたりは寺が多いです。交差点名も寺町です。
  


Posted by むぎゅむぎゅ at 18:48Comments(0)神社仏閣

2010年12月30日

牛久保史跡巡りⅢ 八幡社

牛久保史跡巡りの③八幡社です。
奈良時代に仁徳天皇を祭ったのが始まりのようです。


八幡社では、毎年4月上旬に天下の奇祭「うなごうじ祭り(若葉祭り)」が開かれます。
ここにその謂れが書いてありますが、
牧野古伯を始め歴代の城主が若葉祭りの際、領民に酒をふるまい、
酒に酔った領民が帰り道にごろごろしたのがうなごうじ祭りの形となったとのことです。


境内には、悠仁親王の誕生を記念した植樹もあります。


次は山本寛助の墓のある長谷寺に向かいます。
  


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2010年12月30日

牛久保史跡巡りⅡ

牛久保史跡巡りの大聖寺には今川義元公の墓の隣に、
一色城主、一色刑部少輔時家の墓があります。


墓には案内板があります。


この案内を読むと次のことが分かります。
○ 一色城を建てた一色時家が豪臣波多野全慶に殺された。
○ 波多野全慶は牧野古伯に討たれ、牧野が城主になった。
○ 古伯は吉田城を築城し、次男の成勝を城主とし、牛窪城と改めた。
○ 牛窪という地名は、大牛が窪地に横たわっていたことに由来する。
○ 城郭内に牛頭山大聖寺を建て、牛頭天王を祀った。

境内のJR飯田線沿いには、石仏もあります。


石仏の向こう側が低くなっているのが分かります。


ここが河岸段丘のある洪積台地と、水田の広がる沖積平野の境に位置します。
昔は、こんこんと水が湧き出で、
飲み水の確保や、堀の水など城を構えるのに好都合だったのでしょう。

牛が横たわって、牛窪というのも興味深いですね。
  


Posted by むぎゅむぎゅ at 12:32Comments(0)神社仏閣

2010年12月30日

牛久保史跡巡り

これは豊川市商工課・豊川市観光協会発行のパンフです。


もう少し、拡大します。
①の牛久保駅を出発して、②の今川義元公墓所(大聖寺)に向かいます。


大聖寺のところにも、「牛久保史跡巡り」の案内看板がありました。


これが、今川義元公の墓所です。
桶狭間の戦いで織田信長に討たれた義元の胴体は、
家臣によりこの地まで運ばれ、
この寺で葬られました。


  


Posted by むぎゅむぎゅ at 09:54Comments(0)神社仏閣