2010年12月30日
牛久保史跡巡りⅡ
牛久保史跡巡りの大聖寺には今川義元公の墓の隣に、
一色城主、一色刑部少輔時家の墓があります。

墓には案内板があります。

この案内を読むと次のことが分かります。
○ 一色城を建てた一色時家が豪臣波多野全慶に殺された。
○ 波多野全慶は牧野古伯に討たれ、牧野が城主になった。
○ 古伯は吉田城を築城し、次男の成勝を城主とし、牛窪城と改めた。
○ 牛窪という地名は、大牛が窪地に横たわっていたことに由来する。
○ 城郭内に牛頭山大聖寺を建て、牛頭天王を祀った。
境内のJR飯田線沿いには、石仏もあります。

石仏の向こう側が低くなっているのが分かります。

ここが河岸段丘のある洪積台地と、水田の広がる沖積平野の境に位置します。
昔は、こんこんと水が湧き出で、
飲み水の確保や、堀の水など城を構えるのに好都合だったのでしょう。
牛が横たわって、牛窪というのも興味深いですね。
一色城主、一色刑部少輔時家の墓があります。
墓には案内板があります。
この案内を読むと次のことが分かります。
○ 一色城を建てた一色時家が豪臣波多野全慶に殺された。
○ 波多野全慶は牧野古伯に討たれ、牧野が城主になった。
○ 古伯は吉田城を築城し、次男の成勝を城主とし、牛窪城と改めた。
○ 牛窪という地名は、大牛が窪地に横たわっていたことに由来する。
○ 城郭内に牛頭山大聖寺を建て、牛頭天王を祀った。
境内のJR飯田線沿いには、石仏もあります。
石仏の向こう側が低くなっているのが分かります。
ここが河岸段丘のある洪積台地と、水田の広がる沖積平野の境に位置します。
昔は、こんこんと水が湧き出で、
飲み水の確保や、堀の水など城を構えるのに好都合だったのでしょう。
牛が横たわって、牛窪というのも興味深いですね。
Posted by むぎゅむぎゅ at 12:32│Comments(0)
│神社仏閣