2011年12月31日

豊川の中流域で野鳥がいる所?

冬ともなると 河川の自然も地味になっています。

そんな中 目にとまったのが サギ、カモでした。
いつも詳しく観察しているわけではありませんが、
何となく スポットとなる場所がいくつかあるような
気がします。

先週の25(日)と、11月始めに偶然?遭遇したサギ、
カモたちがいました。
堤防からコンパクトカメラでの撮影したものです。
 こんな程度ですが 分かるでしょうか。

 
  河口19km(東名道路付近)
 

 
  賀茂橋下流 付近
 

 
  下条橋上流 付近

  


Posted by せんべい at 23:58Comments(0)眺め・景色

2011年12月31日

山本勘助

NHK大河ドラマ「風林火山」で勘助ブームが起きてから、すでに5年経ちました。


山本勘助が賀茂で生まれたとの説について、
賀茂校区元文化協会顧問の山本先生から教えていただきました。


「勘助の先祖は代々駿河国富士郡に住み、
曾祖父のときに2500石の領主として賀茂に着任した。
その第三代が山本藤七郎光幸といい、三人の男子の末子が
勘助(幼名を源助)である。

勘助は1500年8月15日に出生し、
15歳の正月15日に当古の牧野家家臣大林勘左衛門貞次方に養子に入り、
名を大林勘助貞幸と改め、牛久保に住むようになる。

勘助は牛久保に住むこと約10年にして武者修行に出た。
旅の途中の25歳の時に高野山に登り、摩利支天堂に7日間こもり、
摩利支天を受けた。

このお守りを身につけ、武者修行を続け、主として道場破りに専念した。
そのため、身に75か所の傷を負い、目、足、指などが不自由になった。
諸国修行の豊富な経験をもとに、城造り、軍略を研究したのである。」


お話を賀茂の本願寺で聞いています。


こういう話を聞いたうえで、大河ドラマを見たかったですね。

こちらは、山本家歴代のお墓です。


本願寺から少し離れたところに、山本勘助の碑があり、説明文があります。





  


Posted by むぎゅむぎゅ at 11:27Comments(0)歴史

2011年12月29日

いこいの広場壊滅

いこいの広場は、江島の豊川河川敷を利用した公園です。
これが9月19日のいこいの広場です。


パターゴルフなどの施設がありました。


戦後2番目の水位を記録した9月21日の台風15号により、
いこいの広場のパターゴルフ場は、壊滅状態です。


水流により芝生は、かなり、えぐられてしまいました。
洪水の力はすごいですね。
  


Posted by むぎゅむぎゅ at 21:08Comments(0)その他

2011年12月28日

石ころが好き

豊川リバーウォークでは、河原で石の観察を行いました。


石を分類しています。
豊川は中央構造線沿いにあるため、石の種類が豊富です。


ダイヤモンドや真珠のような宝石ではないけれども、
いろんな色や形の石がそれぞれ輝いています。

  


Posted by むぎゅむぎゅ at 20:55Comments(0)自然

2011年12月27日

浅瀬を作った娘

その昔、村で器量好しと評判の娘が、
川向こうの若者と深い恋仲となった。

「渕さえうずめりゃ好きな人の所へ行ける。」
と思った。
さあ、それからというものは、
昼の仕事が終わると豊川に走ってきては、石ころを渕へ投げ込んだ。
朝は朝で同じように・・。
川向こうの男のほうも同じように投げ込んでいった。
毎日、川の両側から投げ込まれる石ころも、少しずつ渕をうずめて行った。
始めのうちは、ふたりのやることを面白がって見ておった村の者たちも、
ふたりのあまりの真剣さに心をうたれちまって
川ぶちを通るたんびに石ころを投げ込んでくれるようになった。

そして、いつの間にか十年が過ぎた。
底の知れないような深い豊川の渕だったが、
とうとう、飛んで渡れるような浅瀬ができちまった。
ふたりは、浅瀬のまん中で抱き合い泣いて喜んだ。

長い長い間の夢が叶えられたふたりだった。
これを見ておった村の若者たちも自分のことのように涙をこぼして喜んだ。
この浅瀬は、わくぐり様の鳥居の近いことから、鳥居松の瀬と呼ばれて
今でも残っており、鮎の釣り場として賑わっているとこである。

という、昔話が旧一宮町に残っています。

この昔話は、こちらのHPから引用しました

浅瀬はこんな感じでしょうか?
この写真は、江島の河原ですが。


こちらが村の者の石投げの様子。


  


Posted by むぎゅむぎゅ at 21:06Comments(0)文化

2011年12月26日

わくぐり神社

安産の神様で有名なわくぐり神社は、昔は豊川に近いところにありました。
これがその証拠です。
「籰繰神社旧鎮座地」と書いてあります。


鳥居の向こう側に本宮山が見えますが、
500mほどのところに現在のわくぐり神社があります。
慶長13年(西暦1608年)に
三河の国の代官、彦坂九兵衛(定次)が、豊川の洪水を恐れて、
現在の豊川市東上町権現に神社を移しました。


実は、神社だけでなく、豊川自体も流れが変わっています。
この旧河道図は、中根洋治著「秋葉古道と愛岐地方の旧河道」から引用しました。


  


Posted by むぎゅむぎゅ at 23:31Comments(0)神社仏閣

2011年12月25日

境川の草刈りをしていただいたのは

私たちのリバーウォークに合わせて、
草刈りをしてくれたのは、
地元、東上の農家の方です。
ちょうど、農作業の合間に来ていただいたので、
挨拶とお礼をしました。


本宮山から流れてくる湧水の話もしていただきました。


コスモスも咲いていて、ちょうど休憩に適しています。

  


Posted by むぎゅむぎゅ at 21:27Comments(0)プレリバーウォーク自然

2011年12月24日

境川

豊川市と新城市の境にある境川。
昔、郡があった時代は、宝飯郡と設楽郡の境でした。
地図では宝飯郡は、昔の字で「寶飫郡」と表記されています。
寶は「宝」の旧字体です。
飫は「物が豊か」という意味です。
従って、宝飯郡とは、宝が豊かなところということで、
温暖で、土地が肥沃だったのでしょうか?


9月の境川です。草が茂っています。


川に降りる階段がありますが、草が行く手をふさぎます。


11月の境川です。草がきれいに刈られています。


橋もかかって、向こう岸に渡れます。


清らかな流れも間近に見れます。


リバーウォークの参加者も大変助かりました。



  


Posted by むぎゅむぎゅ at 09:53Comments(0)歴史

2011年12月23日

海倉の伝説

牟呂松原頭首工があるところは、海倉の渕といい、
竜宮に届いているといわれていました。


昔、豊作祝いの接待用のお膳やお椀がこの渕から湧き出て、
借りたという昔話があります。

この昔話にちなんで、この海倉橋の高欄には、
天女と、


椀のモニュメントがあります。



  


Posted by むぎゅむぎゅ at 20:39Comments(0)文化

2011年12月22日

明日午前10時から、先着200名にかぼちゃ汁粉無料提供

 本日22日正午、国道301号通行止め解除し片側交互通行開始となる。

3ヶ月ぶりの開通である。

そこで、道の駅「つくで手づくり村」は、開通を感謝して、明日23日午前10時より、

先着200名に、かぼちゃ汁粉をふるまってくれるそうです。

まだ道路は凍結していないので、301号の崩落現場の復旧状況を確認しながら、

是非、作手高原に来てくださいね。

くれぐれもスピードに気をつけて、安全運転でお越し下さい。

*なお、本日正午の開通状況や崩落現場片側通行のちょっとした場面は
 作手郷発見ブログをご覧下さい。

平地の豊橋の午後4時の当古橋は車で渋滞していました。
当古橋から豊川の下流方向を望むface01
  


Posted by ビクター at 21:57Comments(0)地域の課題・問題