2011年12月31日
山本勘助
NHK大河ドラマ「風林火山」で勘助ブームが起きてから、すでに5年経ちました。

山本勘助が賀茂で生まれたとの説について、
賀茂校区元文化協会顧問の山本先生から教えていただきました。

「勘助の先祖は代々駿河国富士郡に住み、
曾祖父のときに2500石の領主として賀茂に着任した。
その第三代が山本藤七郎光幸といい、三人の男子の末子が
勘助(幼名を源助)である。
勘助は1500年8月15日に出生し、
15歳の正月15日に当古の牧野家家臣大林勘左衛門貞次方に養子に入り、
名を大林勘助貞幸と改め、牛久保に住むようになる。
勘助は牛久保に住むこと約10年にして武者修行に出た。
旅の途中の25歳の時に高野山に登り、摩利支天堂に7日間こもり、
摩利支天を受けた。
このお守りを身につけ、武者修行を続け、主として道場破りに専念した。
そのため、身に75か所の傷を負い、目、足、指などが不自由になった。
諸国修行の豊富な経験をもとに、城造り、軍略を研究したのである。」
お話を賀茂の本願寺で聞いています。

こういう話を聞いたうえで、大河ドラマを見たかったですね。
こちらは、山本家歴代のお墓です。

本願寺から少し離れたところに、山本勘助の碑があり、説明文があります。


山本勘助が賀茂で生まれたとの説について、
賀茂校区元文化協会顧問の山本先生から教えていただきました。
「勘助の先祖は代々駿河国富士郡に住み、
曾祖父のときに2500石の領主として賀茂に着任した。
その第三代が山本藤七郎光幸といい、三人の男子の末子が
勘助(幼名を源助)である。
勘助は1500年8月15日に出生し、
15歳の正月15日に当古の牧野家家臣大林勘左衛門貞次方に養子に入り、
名を大林勘助貞幸と改め、牛久保に住むようになる。
勘助は牛久保に住むこと約10年にして武者修行に出た。
旅の途中の25歳の時に高野山に登り、摩利支天堂に7日間こもり、
摩利支天を受けた。
このお守りを身につけ、武者修行を続け、主として道場破りに専念した。
そのため、身に75か所の傷を負い、目、足、指などが不自由になった。
諸国修行の豊富な経験をもとに、城造り、軍略を研究したのである。」
お話を賀茂の本願寺で聞いています。
こういう話を聞いたうえで、大河ドラマを見たかったですね。
こちらは、山本家歴代のお墓です。
本願寺から少し離れたところに、山本勘助の碑があり、説明文があります。
Posted by むぎゅむぎゅ at 11:27│Comments(0)
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