2011年09月10日

志香須賀渡し

平安時代に豊川は飽海川と呼ばれ、
現在よりも川幅が広く、橋が架けられないため、
豊橋側は牟呂町あたり、
小坂井町側は小坂井、篠束、平井あたりで、
船が行き来していた。
志香須賀渡し


この渡しを「しかすがの渡し」として、和歌に詠まれている。

「月数めば いまだ冬なり しかすがに 霞たなびく 春たちぬとか」 大伴家持

「思ふ人 有となけれど 古里は しかすがにこそ 恋しかりけり」 能因法師

「逢せこそ 間遠なり共 しかすがに 渡りなれにし 中な忘れそ」 二品法親王慈道


これだけの川幅では、往来は困難を極めたのでしょうね。
志香須賀渡し




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Posted by むぎゅむぎゅ at 19:59│Comments(0)歴史
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