2011年01月09日
当古 川と生活のかかわりⅤ
当古の人の子供時代の話を紹介します。
かなりの腕白ぶりです。
「遊び」
○ 夏は川遊びが中心で、流木を立てて、飛び込み台を作り遊んだ。
○ 橋脚のところに渦ができ、わざと渦があるところに飛び込んで遊んだ。
○ 川での水難事故はよそから遊びに来た子に多かった。
○ アーチ型の当古橋ができた時は、アーチの上に登って遊んだ。
○ 川に飛び込んだりしたが、事故はなかった。
「手伝い仕事」
○ ふろの水汲みは子供の仕事だった。
○ 麦刈、芋掘り、芋のつる挿しなどの農作業を手伝った。
○ 田植え時期の学校の農繁休みには家の仕事を手伝った。
○ 藁の束つくりはいやな仕事だった。
「小学校卒業後」
○ 大部分の人は奉公に出た。洗濯屋、かばん屋などいろいろあった。
○ 奉公先は東京、名古屋、大阪、豊橋、豊川など都市部であった。
○ 奉公は口減らしの意味があり、長男さえ家にいれば良かった。
○ 新家を出すと、田畑がいるので、ほとんどが養子か奉公に出た。
○ 頭の良い人は中学校に進学した。
まさに、日本人という小学生たちですね。

新旧当古橋が並んでいます。
左側のアーチの部分に登ったり、橋から川へ飛び込んだり、
昔の子供は逞しかったですね。

かなりの腕白ぶりです。
「遊び」
○ 夏は川遊びが中心で、流木を立てて、飛び込み台を作り遊んだ。
○ 橋脚のところに渦ができ、わざと渦があるところに飛び込んで遊んだ。
○ 川での水難事故はよそから遊びに来た子に多かった。
○ アーチ型の当古橋ができた時は、アーチの上に登って遊んだ。
○ 川に飛び込んだりしたが、事故はなかった。
「手伝い仕事」
○ ふろの水汲みは子供の仕事だった。
○ 麦刈、芋掘り、芋のつる挿しなどの農作業を手伝った。
○ 田植え時期の学校の農繁休みには家の仕事を手伝った。
○ 藁の束つくりはいやな仕事だった。
「小学校卒業後」
○ 大部分の人は奉公に出た。洗濯屋、かばん屋などいろいろあった。
○ 奉公先は東京、名古屋、大阪、豊橋、豊川など都市部であった。
○ 奉公は口減らしの意味があり、長男さえ家にいれば良かった。
○ 新家を出すと、田畑がいるので、ほとんどが養子か奉公に出た。
○ 頭の良い人は中学校に進学した。
まさに、日本人という小学生たちですね。

新旧当古橋が並んでいます。
左側のアーチの部分に登ったり、橋から川へ飛び込んだり、
昔の子供は逞しかったですね。
Posted by むぎゅむぎゅ at 14:44│Comments(0)
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