2011年01月01日
昨年に引き続き牛久保史跡巡りⅦ
昨年末に引き続き牛久保史跡巡りを紹介します。
牧野成定公廟のあと、光輝院を巡り、善光庵に向かいます。
南大通を歩いて行くと、弥勒菩薩佛頭の石柱を見つけました。

石柱には弥勒菩薩佛頭は正徳3年と書いてあります。
正徳年は新井白石の時代で、
徳川綱吉の元禄時代のバブル経済の時代の後始末で、
経済の立て直しに苦労した時代です。
その後も幕府の財政は立ち直らず、やがて、徳川吉宗の登場で、
享保の改革に象徴される超緊縮財政がとられることとなりました。
なんだか、80年代にバブルから、デフレを迎えつつ、財政赤字が拡大する今の時代と重なって見えます。

善光庵の案内板があります。
観世音菩薩と弥勒菩薩の佛頭が安置されているとのことです。

善光庵はこの建物です。

中を覗いても良く判りません。

外にはたくさんの石仏があります。

全体の位置関係は、こんな感じです。
公民館、善光庵、石仏が並んでいます。

善光庵は⑥の位置にあります。

牧野成定公廟のあと、光輝院を巡り、善光庵に向かいます。
南大通を歩いて行くと、弥勒菩薩佛頭の石柱を見つけました。
石柱には弥勒菩薩佛頭は正徳3年と書いてあります。
正徳年は新井白石の時代で、
徳川綱吉の元禄時代のバブル経済の時代の後始末で、
経済の立て直しに苦労した時代です。
その後も幕府の財政は立ち直らず、やがて、徳川吉宗の登場で、
享保の改革に象徴される超緊縮財政がとられることとなりました。
なんだか、80年代にバブルから、デフレを迎えつつ、財政赤字が拡大する今の時代と重なって見えます。
善光庵の案内板があります。
観世音菩薩と弥勒菩薩の佛頭が安置されているとのことです。
善光庵はこの建物です。
中を覗いても良く判りません。
外にはたくさんの石仏があります。
全体の位置関係は、こんな感じです。
公民館、善光庵、石仏が並んでいます。
善光庵は⑥の位置にあります。

Posted by むぎゅむぎゅ at 17:57│Comments(0)
│神社仏閣