2020年06月08日

神野新田の堤防を守る観音像

神野新田の前身は、毛利祥久によって、1889年に干拓された毛利新田ですが、
潮止め直後に津波で破壊され、翌年完成しました。
その後、1891年の濃尾大地震と翌年の暴風により完全に破壊され、1893年に名古屋の神野金之助に売り渡しました。

当時としては最新の服部長七の人造石工法を用いて、1896年に総面積1100haの事業を完成させました。
堤防には、180mごとに三十三の観音像が建てられ、
堤防工事に携わった人たちの功績と堤防の安全を見守っています。

これがその観音像の一つです。
神野新田の堤防を守る観音像


そして、碧海郡の服部長七と名前が刻まれています。
神野新田の堤防を守る観音像


人造石とは、石灰に種土を混ぜ、水で固練りしたものを、板や木槌でよくたたき固めたもので、
種土は花崗岩が風化し土壌化したものを使用しました。





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Posted by むぎゅむぎゅ at 19:31│Comments(0)施設
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