2011年01月05日
当古の今と昔
豊川右岸堤防から青い色の当古橋が見えます。

当古橋の近くに川に降りる階段があります。

注目してほしいのはこの窪地。

当古橋は、橋がかかる前、渡し船がありました。
昭和10年頃の写真をご覧ください。
橋と渡し舟が共存しています。
先ほどの窪地は、この渡船場の名残りではないかと想像します。

当古の渡しはこの案内看板にも書かれています。
○ 徳川家康が浜松城主のころ、浜松と岡崎を往来する途中、豊川の増水で立ち往生していたところ、
中山家の先祖が当古の船渡しをした功績により、渡船の御用を任じられた。
○ 安政6年(1158年)に村営となるまで、当古の渡しの運営にあたった。

草が生い茂るこの風景が、逆に歴史を感じさせます。

しかし、今も当古橋は、国道362号として、豊川と浜松を結ぶ幹線道路としての役割を果たしています。
当古橋の近くに川に降りる階段があります。
注目してほしいのはこの窪地。
当古橋は、橋がかかる前、渡し船がありました。
昭和10年頃の写真をご覧ください。
橋と渡し舟が共存しています。
先ほどの窪地は、この渡船場の名残りではないかと想像します。

当古の渡しはこの案内看板にも書かれています。
○ 徳川家康が浜松城主のころ、浜松と岡崎を往来する途中、豊川の増水で立ち往生していたところ、
中山家の先祖が当古の船渡しをした功績により、渡船の御用を任じられた。
○ 安政6年(1158年)に村営となるまで、当古の渡しの運営にあたった。
草が生い茂るこの風景が、逆に歴史を感じさせます。
しかし、今も当古橋は、国道362号として、豊川と浜松を結ぶ幹線道路としての役割を果たしています。
Posted by むぎゅむぎゅ at 22:22│Comments(0)
│眺め・景色