2011年06月25日
大野の名刹 渕龍寺
三河大野にある 名刹 天徳山渕龍寺を訪れました。
えんりゅうじ と呼びます。

突然の訪問にもかかわらず、本堂に招き入れていただきました。


本堂から眺める庭は、鐘付き堂や、岩、大木と、風情があります。

渕龍寺は、南北朝時代の大野の支配者、鈴木喜三郎隆友に由来し、
引佐町奥山方広寺(臨済宗)の流れをくむ寺だそうです。

えんりゅうじ と呼びます。
突然の訪問にもかかわらず、本堂に招き入れていただきました。
本堂から眺める庭は、鐘付き堂や、岩、大木と、風情があります。
渕龍寺は、南北朝時代の大野の支配者、鈴木喜三郎隆友に由来し、
引佐町奥山方広寺(臨済宗)の流れをくむ寺だそうです。
2011年05月31日
しょうぶ園の見どころ
しょうぶ園のみどころは、花しょうぶですが、
それは、前回紹介しました。
今回紹介しますのは、すいれん。

そして、さまざまなイベント。
残念ながら、「雅楽」は29日に終わってしまいましたが、
「親子で乗馬」は次の日曜日に、
「石木の展示即売会」次の土曜日と日曜日に、
「雅姫、琴姫撮影会」は次の土曜日に開催されます。

でも、せっかく訪れたなら、賀茂神社にもご参拝ください。


途中には、神山古墳もあります。
それは、前回紹介しました。
今回紹介しますのは、すいれん。
そして、さまざまなイベント。
残念ながら、「雅楽」は29日に終わってしまいましたが、
「親子で乗馬」は次の日曜日に、
「石木の展示即売会」次の土曜日と日曜日に、
「雅姫、琴姫撮影会」は次の土曜日に開催されます。
でも、せっかく訪れたなら、賀茂神社にもご参拝ください。
途中には、神山古墳もあります。
2011年01月03日
玉林寺の大楠
賀茂橋の右岸側、豊川市麻生田町に玉林寺があります。

樹齢600年の巨木なので、写真1枚では、納まらなかったので、
上から順番に、ご覧いただきます。



方向を変えて、幹周りだけ、もう1枚ご覧ください。
郷土史家、中根洋二さん著「愛知の巨木」によりますと、
実測幹周りは900㎝だそうです。
また、樹齢600年なので、少なくともこの間は、
豊川はここを流れていなかったと記されています。

なお、ここの住所は、「麻生田町楠木道」といいます。
樹齢600年の巨木なので、写真1枚では、納まらなかったので、
上から順番に、ご覧いただきます。
方向を変えて、幹周りだけ、もう1枚ご覧ください。
郷土史家、中根洋二さん著「愛知の巨木」によりますと、
実測幹周りは900㎝だそうです。
また、樹齢600年なので、少なくともこの間は、
豊川はここを流れていなかったと記されています。
なお、ここの住所は、「麻生田町楠木道」といいます。
2011年01月02日
賀茂神社の見どころ
賀茂神社の本殿は寛永元年(1624年)建立です。
寛永元年は徳川幕府の初期の時代で、
NHK大河ドラマ、江の子、家光が将軍の時代です。

本堂と、中に収蔵されている面が県や市の指定文化財になっています。

また、境内には、神山古墳があります。
直径28m、高さ3.5mの円墳です。

そして、菖蒲園。

6月頃、季節になると、賑わいます。


菖蒲園の横を牟呂用水が流れています。

寛永元年は徳川幕府の初期の時代で、
NHK大河ドラマ、江の子、家光が将軍の時代です。
本堂と、中に収蔵されている面が県や市の指定文化財になっています。
また、境内には、神山古墳があります。
直径28m、高さ3.5mの円墳です。
そして、菖蒲園。
6月頃、季節になると、賑わいます。
菖蒲園の横を牟呂用水が流れています。
2011年01月02日
賀茂橋を渡って、賀茂神社に初詣
2日目も素晴らしい天気。
空気が澄んでいます。
賀茂橋から見た豊川と本宮山の眺めは良好。

この橋を渡って、賀茂神社の境内に入ります。

鳥居の向こうに、本堂が見えてきました。

私の他には、このひと組の参拝客しかいません。
今年も参拝に来れて良かったねと、
おばあさんらしき人に話しかけているのが、聞こえてきました。

お守りが書かれた半紙が垂れ下がっているのも、物淋しい感じがします。

空気が澄んでいます。
賀茂橋から見た豊川と本宮山の眺めは良好。
この橋を渡って、賀茂神社の境内に入ります。
鳥居の向こうに、本堂が見えてきました。
私の他には、このひと組の参拝客しかいません。
今年も参拝に来れて良かったねと、
おばあさんらしき人に話しかけているのが、聞こえてきました。
お守りが書かれた半紙が垂れ下がっているのも、物淋しい感じがします。
2011年01月02日
牛久保史跡巡り最終回
牛久保史跡巡りの最終回は、 ⑧ 牛久保のナギです。
牛久保のナギは幹周り3.5m、高さ20mの巨木です。
この地方でこれほど大きく繁成するのは珍しく、
昭和13年に国の天然記念物に指定されています。

ナギは熊野神社の境内にありますが、JR飯田線の線路の反対側にあります。

そして、ナギの近くには、稲荷や

龍神や

水神が祭られています。

ナギだけでなくて、竜神様や水神様も見どころです。
このあたりに、清水がこんこんと湧き出ていた状況が偲ばれます。
牛久保のナギは幹周り3.5m、高さ20mの巨木です。
この地方でこれほど大きく繁成するのは珍しく、
昭和13年に国の天然記念物に指定されています。
ナギは熊野神社の境内にありますが、JR飯田線の線路の反対側にあります。
そして、ナギの近くには、稲荷や
龍神や
水神が祭られています。
ナギだけでなくて、竜神様や水神様も見どころです。
このあたりに、清水がこんこんと湧き出ていた状況が偲ばれます。
2011年01月01日
昨年に引き続き牛久保史跡巡りⅦ
昨年末に引き続き牛久保史跡巡りを紹介します。
牧野成定公廟のあと、光輝院を巡り、善光庵に向かいます。
南大通を歩いて行くと、弥勒菩薩佛頭の石柱を見つけました。

石柱には弥勒菩薩佛頭は正徳3年と書いてあります。
正徳年は新井白石の時代で、
徳川綱吉の元禄時代のバブル経済の時代の後始末で、
経済の立て直しに苦労した時代です。
その後も幕府の財政は立ち直らず、やがて、徳川吉宗の登場で、
享保の改革に象徴される超緊縮財政がとられることとなりました。
なんだか、80年代にバブルから、デフレを迎えつつ、財政赤字が拡大する今の時代と重なって見えます。

善光庵の案内板があります。
観世音菩薩と弥勒菩薩の佛頭が安置されているとのことです。

善光庵はこの建物です。

中を覗いても良く判りません。

外にはたくさんの石仏があります。

全体の位置関係は、こんな感じです。
公民館、善光庵、石仏が並んでいます。

善光庵は⑥の位置にあります。

牧野成定公廟のあと、光輝院を巡り、善光庵に向かいます。
南大通を歩いて行くと、弥勒菩薩佛頭の石柱を見つけました。
石柱には弥勒菩薩佛頭は正徳3年と書いてあります。
正徳年は新井白石の時代で、
徳川綱吉の元禄時代のバブル経済の時代の後始末で、
経済の立て直しに苦労した時代です。
その後も幕府の財政は立ち直らず、やがて、徳川吉宗の登場で、
享保の改革に象徴される超緊縮財政がとられることとなりました。
なんだか、80年代にバブルから、デフレを迎えつつ、財政赤字が拡大する今の時代と重なって見えます。
善光庵の案内板があります。
観世音菩薩と弥勒菩薩の佛頭が安置されているとのことです。
善光庵はこの建物です。
中を覗いても良く判りません。
外にはたくさんの石仏があります。
全体の位置関係は、こんな感じです。
公民館、善光庵、石仏が並んでいます。
善光庵は⑥の位置にあります。

2011年01月01日
初詣 3神社お参りしてきました
最初は、砥鹿神社。

少年野球?サッカー?の選手たちが御祈祷に訪れています。
練習の成果が発揮できるといいですね。

続いて、豊川稲荷。

まだ、朝8時前、本殿までスムーズに進めます。

そして、地元進雄神社。

地元の氏子しか訪れません。
お神酒をいただきました。

進雄神社はここにあります。
少年野球?サッカー?の選手たちが御祈祷に訪れています。
練習の成果が発揮できるといいですね。
続いて、豊川稲荷。
まだ、朝8時前、本殿までスムーズに進めます。
そして、地元進雄神社。
地元の氏子しか訪れません。
お神酒をいただきました。
進雄神社はここにあります。
2010年12月31日
牛久保史跡巡りⅥ
牧野成定公廟です。

牧野成定は第2代牛久保城主として、徳川家康に従い、
吉田城攻略の際に活躍したそうです。
廟の墓碑は1684年に成定の曾孫によって、光輝院に建てられたそうです。
昔は、このあたりまで、光輝院の境内だったようです。

公廟の隣には、天王社があります。

牧野成定は第2代牛久保城主として、徳川家康に従い、
吉田城攻略の際に活躍したそうです。
廟の墓碑は1684年に成定の曾孫によって、光輝院に建てられたそうです。
昔は、このあたりまで、光輝院の境内だったようです。
公廟の隣には、天王社があります。
2010年12月30日
牛久保史跡巡りⅤ
ここが山本勘助の墓のある長谷寺です。
2007年のNHK大河ドラマ風林火山の放映時には多くの人が訪れました。

「山本勘助のふるさと」の旗は新しくなっています。

摩利支天像の案内看板です。

大河ドラマでもご存じのように、勘助の襟にかけていたお守りでした。
摩利支天像は本堂の厨子に安置されています。
パンフレットのほうが分かりやすいので、お墓とともに紹介します。

2007年のNHK大河ドラマ風林火山の放映時には多くの人が訪れました。
「山本勘助のふるさと」の旗は新しくなっています。
摩利支天像の案内看板です。
大河ドラマでもご存じのように、勘助の襟にかけていたお守りでした。
摩利支天像は本堂の厨子に安置されています。
パンフレットのほうが分かりやすいので、お墓とともに紹介します。






