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2012年02月11日

豊川観光ルートウォーキング

本日2月11日に豊川のプリオをスタートし、
名鉄国府駅をゴールとするウォーキングが開催されます。

スタート受付は、9時30分から13時まで。


赤塚山公園の梅まつり、
三河国分尼寺公園の天平の歴史など見どころが多いです。

  
Posted by むぎゅむぎゅ at 07:41Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2012年01月02日

長篠発電所取水堰堤

元旦の中日新聞5部に、
ものづくり中部生きる産業遺産」の特集記事があり、
新城・長篠発電所取水堰堤
150m「ナイアガラ」と紹介されていました。


旧豊橋電気が1912(明治45)年に完成させた
水力発電所に川の水を供給する取水堰堤です。
最上部の導水路から水があふれて、滝のように落ちる余水吐です。


とにかく、自然と人工構造物が美しく、調和しています。


あまりの迫力に近づくのも及び腰となりますが、
しっかりと、目に焼き付けたい光景です。



  
タグ :水力発電
Posted by むぎゅむぎゅ at 20:29Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年10月18日

オープンカレッジ課外講座

今年の春受講した「とよかわオープンカレッジ」の課外講座を
講師の栗田昌之先生と一緒に企画しました。

JR豊川駅を出発し、野田城駅に到着しました。
講師を含めて、総勢12人です。


野田城駅のトイレの前の案内看板の前で、早速講義が始まりました。
野田城と大野田城は交互に築城されたそうです。
武田信玄と菅沼定盈との野田城の攻防が有名です。


野田城近くの杉川です。堰き止めて、桑渕になります。


野田城址目前の案内看板です。


野田城の平面図です。
三の丸、二の丸、本丸と構えています。
桑渕と、竜渕に囲まれています。
1573年の戦いでは、武田勢はまず、桑渕(図の上側)と、
竜渕(図の下側)の水を落とすとともに、
城内の井戸を枯らすため、坑道を掘って、井戸の水を抜く断水戦術をとって、
開城降伏させました。


先生が乗っている岩は、馬の乗るときに踏んで乗った岩だそうです。


皆が覗き込んでいるのは井戸です。


二の丸から本丸を経由して、野田城を無事脱出しました。





  
Posted by むぎゅむぎゅ at 21:17Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年09月09日

柏木浜

小坂井町の平井に柏木浜があります。
国道247号小坂井バイパスの近くです。


柏木浜の石碑です。


説明文には、
「柏木浜は古代の東海道の渡し場で、対岸は牟呂町坂津であった。」
「菟足神社の祭神菟上足尼命はこの地に上陸され、…」
とある。


当時の豊川は4kmほどの広大な河口があったようです。
前芝、下地、大村は豊川の中州です。


  
タグ :柏木浜
Posted by むぎゅむぎゅ at 22:18Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年07月02日

乗本の今

宇連川(鳳来峡)は渓谷が素晴らしく景色を楽しむことができます。
今日のウォーキングの後半を一部紹介します。
長篠~乗本~文化橋
「新城市誌」によると、ここから下流の長篠、乗本、川路、新城、石田、
一鍬田、東上は河岸(かし)として信州(飯田)と吉田(豊橋)を結ぶ
物流の拠点として栄えたということです。
新城が山の湊「山の産物と海の産物の集散地」と言われている所以です。

鳳来大橋を過ぎて旧街道(県道69号線)を歩いていても川はなかなか
見てきません。どうも川が近くに感じないんですが?



何とか船着き場の案内看板を見つけ それらしき場所にたどり着くこ
とができました。
今でも子どもたちの遊び場、水辺として親しまれていました。

たまたまか?暑さのため近所の中学生らが水遊びをしていました。
今でも鳳来には自然の遊び場が少なからず残っているんですね。
「少し話をすることもでき、楽しいひと時でした。」
地元の方 他にもこのようないい所を知っていたら紹介してください。

では水辺のすずしさと地元の中学生+豊川の親父を紹介しま~す。






   
Posted by せんべい at 21:07Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年06月16日

三河国分尼寺跡史跡公園

豊川市では、歴史的文化遺産である三河国分尼寺跡を保存して永く後世に伝えていくために、
平成11年度から17年度にかけて、中門及び回廊の一部を遺構の真上に実物大建物として復元し、史跡公園として、整備しました。
奈良時代の天平の昔、赤塚山で造られた瓦が国分尼寺で使われたのですね。


全体の配置図をご覧ください。


配置図の赤い着色部が中門で、
これが復元した中門です。


金堂跡です。


奥から中門を振り返ります。
国分尼寺は約22,000㎡と広大です。


  
Posted by むぎゅむぎゅ at 21:11Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年06月15日

赤塚山の遺跡

赤塚山は真っ赤な赤土の山で、


塚は古墳を表しています。

この古墳は直径17mの円墳です。
市田町周辺を治めていた有力者の墓だそうです。


また、瓦を製作した工房や窯の跡があります。
そのため、窯をイメージしたものや、


瓦をデザインした造りにしてあるのですね。


国分寺や国分尼寺の瓦生産と紹介されています。

  
Posted by むぎゅむぎゅ at 22:59Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年05月05日

迫力の長篠合戦のぼり祭り

まずは、居合道。
スパッと切り落とします。


「おどらまい鳳来」の演舞。


そして、多くの観客の期待に応えて、


米沢藩稲富流砲術隊の演武。


甲冑の武者も登場しました。


山形県米沢市から来ていただいた米沢藩稲富流砲術隊については、
こちらのHPで詳しく紹介されていますのでご覧ください。
YouTubeで迫力ある映像もご覧いただけます。  
Posted by むぎゅむぎゅ at 22:38Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年05月05日

長篠合戦のぼり祭り

長篠の戦いを記念した「長篠合戦のぼり祭り」に行ってきました。
主催者の案内に従い、三菱電機㈱新城工場で、シャトルバスに乗り換えて、


長篠城址の会場へ、


会場では、静岡県引佐町の物産や


愛知県東浦町の物産展、


あげ焼、


五平餅、


うどん、


猪串焼の美味しそうな屋台の中を進むと、


会場には多くの観客が見守る中、いよいよ開会式が始まりました。


赤い羽織を着た穂積新城市長と大村愛知県知事の姿が見えます。




  
Posted by むぎゅむぎゅ at 20:37Comments(2)TrackBack(0)名所旧跡article_edit

2011年04月19日

桜通りの 桜天神社

名古屋市の駅前大通は桜通といいます。
その桜通に桜がないと、4月9日のブログでお伝えしたところ、
「くじら山こうじ」さんから桜天神社が桜通りの云われと教えていただきました。

行ってきました。
これが桜天神社です。


「桜天神社の起源は、菅原道真公への信仰が篤かった織田信長の父・信秀が
那古野城の中に祠を設け、道真公の木像をお祀りしたのがはじまりとされ、
1538年(天文7年)現在地に御遷座されました。

 1599年(慶長4年)9月9日、福島正則が制令を建て、
名古屋城を築城する折には、
加藤清正が桜の名所だったこの地場所を本陣とし、築城の指揮をとりました。

 築城当時の名古屋は、北は片端線、南は広小路、東は久屋大通、西は
堀川までの9丁四方を、東西10本、南北10本の道路で碁盤の目のように区割りされていたのだそうで、
東西9町、南北9町、計81町の中心に位置していたのが桜天神社でした。」


と、こちらのHPに書かれています

桜天神社は名古屋城の築城以前からこの地にあったのですね。

名古屋城下の頃の桜天神社は、このレリーフから忍ばれます。


今の桜天神社です。
拝殿は突き当りの右側に隠れています。


天神社なので、牛が祭られています。


  
Posted by むぎゅむぎゅ at 20:35Comments(0)TrackBack(0)名所旧跡article_edit